ドイツ人医学者 「伊藤博文をしのぶ」 + 当時の事情・日韓併合条約

28 :前スレ976本文コピペ [sage] :2013/08/17(土) 02:49:12.82 ID:d2xmjWOz0 (4/15) [PC]
21 ::2013/08/16(金) 15:19:50.30 0
ドイツ人医学者エルビン・ベルツ 「伊藤博文をしのぶ」

『伊藤が、人もあろうに韓国人に暗殺されたことは、
かれが日本における韓国人の最上の知己であっただけに、いっそう悲劇である。 
日露戦争の後、日本が韓国に干渉の手を差しのべたとき、 思いがけない抵抗に突きあたった。 
暴動と日本人殺害は、いつ果てるともみえなかった。 
そこで東京の軍部と新聞は、思い切った処置と、武力による圧制を要求した。
しかし伊藤は、穏便な出方を支持したのである。 
かれは、腐敗し切っていた韓国の国家制度に有益な改革を加えることにより、
日本の統治下にある方が優っていることを、韓国民に悟らせることができると信じていた。
 …… ヨーロッパでは、韓国における日本側の過酷な仕打ちについてのみ聞かされているが、
学校を建てたり、 合理的な農業や養蚕を教えたり、鉄道や道路や港湾を設けたり、
勤勉で熟練した日本の職工や農夫の手本を示したりして、日本側の挙げた業績については、何も知らされていない。 
しかし筆者は、3回この韓国を訪れて、親しくその事実を確かめたのである。 
…… いつか韓国民自身が、恐らくこの暗殺を悔やむことだろう。 
―― だが、日本にとっては、伊藤博文は掛替えがない。
その老練無比の政治家を、国家は失い、無二の信頼すべき顧問を、天皇は失った』

日本側の要請として伊藤博文は大韓首相の李完用伯爵(後に侯爵)に
李太王(朝鮮国王高宗)に替わって、李伯爵が国王あるいは大韓皇帝に
なられれば日本が損し苦労する総督府植民地経営はしなくて済むし
反日抗日暴動を政治名目上は防げると説いたが
君臣や親子親戚の上下の忠孝を破る儒教に反する下克上の考えとして
王位を簒奪し朝鮮国王や大韓皇帝になり独立国になる意思は無い。と断られたいう。


■日韓併合条約 1910(明治43)年8月22日調印
第一条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す。
第二条 日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す。