人肉食は中国文化

32 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 [] :2016/08/25(木) 21:08:49.81 ID:6wpk1pjD
■文 化 大 革 命 当 時 の 中 国
無 抵 抗 な 一 般 人 が 人民解放軍や紅衛兵によって虐殺され「食われる」 ■

生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、
人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、
それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、
豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」、
「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、
死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。

『食人宴席―抹殺された中国現代史』 カッパ・ブックス
鄭 義 (著), Zheng Yi (原著), Ko Bunyu (原著), 黄 文雄 (翻訳)

■『支那人の食人肉風習』(桑原隲藏著、筆者は当時京都大学教授だった) ■

肉屋では、人間の肉が吊り下げられて売られていたという記述がある。
この人肉食は、決して過去のことではない。

「食人宴席」(鄭義 光文社) によれば、現代でも行われているのである。

武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、老婆たちは
かごを下げて、糾弾集会が終わるのをじっと待っていた。
人間が殺害されると死体に競って群がり、なるべくいい人肉を切り取って持っていく。
遅れてきた者は人肉を切りとれないので、骨まで持っていく。人肉を食べた者は、
幹部のなかでも少なくはなかった。

例えば、造反から出世した武宣県革命委員会・王文留副主任。彼女は最初、共産党の下級組織から、
彼女がもっぱら男性性器を食べるというので、その報告書が党中央工作組に提出された。
党中央は衝撃をうけ、八五年五月から六月にかけて数回にわたって、その実情について電話で聞き、
なぜ彼女を党から追い出さないかと、詰問した。結果的に明らかにされた事実は、彼女はただ人肉、
人間の肝を食べただけで、現在すでに党から除名処分を受け、一般労働者に格下げされたということ
だった。(「食人宴席」(鄭義 光文社)  P62より引用)




44 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 [] :2016/08/25(木) 21:12:12.47 ID:6a6cmQq0
史書に見られるように、
シナ・朝鮮は、ごちそうとしての、人肉食の長い歴史がある。
シナ・朝鮮は恐るべき、食人文化
両脚羊という食べ物をご存じですか?


犬よりも、人間はそこら中にいたので、
犬肉に対し、人肉は、5分の1の価格で売られていたと記録にある。
数十年前でも、文化大革命で、数千万人の中国人が殺害されたが、人肉市場が開かれた。

史書にも、最高のごちそうは赤ちゃんの丸焼きとされている。
もてなされた客人が、大いに喜んでいる記述が残る。
(検索すると、赤ちゃんの丸焼きをかぶりついている写真が出る。
ハッキリ言って、この写真を検索するのは、やめた方が良い。
吐き気がする。悪魔の晩餐だ。)

戦争にいくのに、食料をもっていかず、殺す敵がいない時は、新兵から食べていく。

張献忠による、四川虐殺の歴史的事実。
数百万人の都市を包囲し、数年かけて、民を丸ごと虐殺し、ごちそうとして食べた。
都市が、丸ごと、せい惨なトサツ場となった。
四川虐殺は、南京事件ねつ造の、モデルとされている。


あの孔子の好物は、人肉の塩づけだった。
そんな奴の言葉をありがたがるなど、気が狂っている。
子路が衛国の大夫である孔悝の荘園の行政官になっていたころ、
衛国に父子の王位争いが起こった。
子路はこのお家騒動にまきこまれて、殺された。
子路の屍は細かく切りきざまれ、無惨にも《醢》にされた。
それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきたのだ。
以来、孔子は大好物の《醢》を食べるのをやめたそうだ。
これは『礼記』、『東周列国志』、『荘子』にも記されている


レシピも多数存在。
塩漬け、餃子、肉まんじゅう、生肉、干し肉。
人間を、文字通り、食い物にして前に進むのは今に始まったことでは無い。

ちなみに、日本は、漢字、絹、陶器の文化はシナから取り入れたが、
宦官、てんそく、ごちそうとしての人肉食は取り入れなかった。
日本では、人肉どころか、肉食自体が、明治まで、一般的では無かった。

また、人肉食を続けると、顔つきなど、身体に特徴が出る。