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日韓基本条約 と 韓国の被害者ヅラ

676 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止 [] :2015/10/23(金) 21:52:38.98 ID:i9vaHRxM (1/4)
1965 年、日韓基本条約。
この時、なぜか韓国は「被害者」としてテーブルにつき、日本に謝罪と賠償を求めた。
日本とコリアは共に戦い、共に敗れた敗戦国である。

第二次大戦に関わった国々を加害者と被害者に分けるならば、日本とコリアは加害者側である。
そして、日本軍の蛮行の多くは、コリアによって行われていた。
また、終戦と共に、多くの日本人がコリアに襲われ、生命と財産を奪われた。
しかし、なぜか彼らは被害者側に回り、日本に謝罪と賠償を求めた。

日本側は、
無償で、3 億ドル(約1080 億円)
有償で、2 億ドル(約720 億円)
民間借款で、3 億ドルを支払った。
(民間借款を除いても、これは当時の韓国の国家予算の1.45 倍に当たる額。
また、当時の日本の国家予算は3 兆7230 億円である)
さらに韓国に残した日本側の資産53 億ドルを全額譲渡した。
このとき、日本が韓国政府に補償し、韓国政府が韓国国民に個人補償を行う事が決定された。

植民地支配は合法とされており、世界の宗主国の中で、植民地に賠償を行った事がある国は、
日本一カ国だけである。
(植民地を持ったイギリスもオランダも、賠償をせず、資産を取り返している)
さらに、1982 年の鈴木善幸首相を初め、歴代の首相は公式謝罪を行い、1984年には天皇すら
も公式謝罪を行っている。未だかつて、植民地に対して謝罪を行った宗主国はない。

しかし、それでも韓国は「日本は謝罪も賠償も行っていない」と世界に向かって主張している。
これは、自らを加害者ではなく被害者である事をアピールする為の、パフォーマンス以外何者
でもない。
そもそも併合時の朝鮮半島を植民地と呼ぶことに違和感がある
欧米で主流だった植民地政策と日本の併合地政策はあきらかに違う
朝鮮人は地方自治の自治権・選挙権を持っていたし官憲(おまわりさん)の80%以上は朝鮮人だった
(戦争末期において国政選挙の選挙権を持つに至る)
欧米の植民地のイメージを持つから従軍慰安婦が強制的に集められた
等という妄想が生まれる余地が出てくるのだ
全ての誤解はここから始まっている
日本政府は当時欧米メディアから「理想的な統治」と賞賛された朝鮮併合が
どのような統治だったのかキッチリ宣伝していくべきだ





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おまけ:


792 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止 [] :2015/10/23(金) 22:02:48.63 ID:i9vaHRxM (4/4)
李承晩ライン
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。

同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、
すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。

日本側はこのラインを認めず、
結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。

李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人

死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。

韓国が卑劣であったのは、拿捕した漁民を人質として利用し、
日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させたことである。

日本は、戦後、韓国と付き合いたいと思った事は全く無く、嫌々
賠償金までふんだくられた。


米国のセオドア・ルーズベルト大統領は1910年8月22日、
日韓併合条約調印に際しての演説

「日本による野蛮国朝鮮の解放は人類にとって幸福になるばかりか、
それはWhite burdenならぬYellow burdenを担う日本の明らかな運命・Minifest DeStinyではないのか、
ましてこれに対する一撃すら与えることのできない無能で野蛮な民族、
集まれば争い分裂することを事にしている朝鮮人、
かりに統一国家が形成できたにせよ、朝鮮がアジアにおいて何の脅威にもならないと、判断した」