「鎮守の杜」は明治41年前後に植えられた

120 :名無しさん@京都板じゃないよ [] :2014/02/26(水) 19:23:56.77
日本のウブスナ神の社の3分の2は、薩長クーデター政府による神社合祀令で明治40年から数年の間に、挽き潰されている。
薩長土人のこの「神殺し」により単純計算でも日本人の3分の2はウブスナ神の社を失った。
その後に土人が人為的・一方的に線引きしたのが、現在の「氏子地域」なるシロモノ。
連動した政策として人工の「鎮守の杜」が造成され、狂ったようにオガタマノキが植えられた。
(試しに、近くの神社の木の樹齢を調べてごらん。ドンピシャで明治41年前後に植えられたことがわかるだろう。)
現在「鎮守の杜」を守れ!とか言ってるのは余程オメデタイ連中か、「私は無学です。」と触れて回りたい奇特な方である。