55 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [] :2014/10/04(土) 12:35:19.30 ID:YcORNRqp (1/3)
ハル・ノート
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。
身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外にも、毎年、
牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
朝鮮(高麗)では国王が亡くなると、
中国(清国)から冊封使が来て承認が得られるまでは新たな国王が決められなかった。
ちなみに、当時は冊封国だった琉球王国(今の沖縄)などでは、
国王が亡くなれば新たな国王は国内ですぐに独自に決定され、
中国はそれを「事後承認」する、という程度の関係であった。
これに対し、別格の低身分だった朝鮮だけは「事前承認」を得る必要があり、
宗主国たる中国の「許し」を重視させられるという完全な上下関係があった。
そのような関係ゆえ、朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に
「気に入らない言葉」がたった一つあっただけで、
朝鮮国王は「銀1万両」を罰金として払った上に、
「年貢への見返りを3年間停止する」という厳しい処罰を受けている。
289 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [] :2014/10/04(土) 12:37:52.54 ID:YcORNRqp (2/3)
そういった関係の名残は、今も朝鮮国内にある。
現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔、その全く同じ場所には『迎恩門』という門があった。
それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
“屈辱的な隷属の象徴”としての門だった。
繰り返すが、この迎恩門で『朝鮮の国王』が土下座して出迎えていた相手は、
中国の「王」ではなく、中国の『使者』である。
朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。
この“1000年に渡る奴隷のごとき低い扱い”は、
彼らの『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。
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朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。
1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、
低い身分の者や貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を
「下の者が下に見られるのは仕方のないこと、
上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える
民族的傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ
精神的に乗り越えられないほど“千年の隷属”というのは長かった。
2.虐げられる者の反動として、朝鮮の国内では、より低い者を虐げる
「貴族社会」が長く続くことになった。貴族社会においては、
家系・家柄が悪ければ、努力はほとんど無意味だった。
貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。
3.身分制度によりどんなに努力しても不遇を変える方法がない社会では、
当然の流れとして、低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と
偽る行為が横行しはじめる。それしか不遇を抜け出す方法がないのだから
そうなるのは必然で、いつしか「偽の家系図を買う」または
「家系図を書き換える」ことで底辺で虐げられる身分から
逆転を果たすことが流行するようになってしまった。
4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
形の上では多くの者が同じ名門の家系出身ということになった。
逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。その証拠に、
現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ」と必ず答える。
今はもう白丁の子孫であっても、本人にその自覚すらなくなっている。
元より宗主国・中国も姓の種類は少ないが、その一部をコピーした属国の中で、
さらに系譜の偽装が行われ「名門・良家の姓」にのみ絞られていったため、
朝鮮人の姓は極端に種類が少ないのである。
307 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [] :2014/10/04(土) 12:39:29.42 ID:YcORNRqp (3/3)
そのような特異な歴史性からも、朝鮮民族というのは非常に特殊だ。
特徴として、まず『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが異様なほどに強いのである。
そして、言い方は悪いが、歴史の経緯上、多くの人間が
『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれてしまった民族』であり、
また、『それに味をしめた民族』であるということ。
数奇な民族の歴史により、“過去の歴史を書き換えること”で、
奴隷や一般人が名門になることができた珍しい国の人々なのである。
このような性質を持つ彼らには、
朝鮮民族の“本当の”歴史は、あまりにも惨めすぎた。
彼らの「本当の歴史」は、誇らしいものではない。
千年もの長きに渡って中国に立ち向かう気概すらなく、ただ媚びへつらい続けた
惨めな奴隷の歴史そのものであり、それらはあまりに痛々しすぎて
彼らにとっては『自分たちの本当の過去を振り返ることは苦痛』なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、
『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』
という“偽りの栄光の歴史”を
あたかも真実のように国民に教え込むことにしたのが、戦後の韓国政府の姿なのである。
これが韓国の愛国教育の成り立ちである。
http://freett.com/iu/memo/Chapter-010402.html
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/reki.htm
http://photo.jijisama.org/dependency.html
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k089.html
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/top.html
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/seimei.htm