●(在日)90 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 12:49:34.00 ID:2c32H8Rl0 (1/10) [PC]
自民議員の秘書(議員長男)が安愚楽牧場の顧問をして報酬を受け取っていた!!労働の実態とはいかに!!
以下、2012年12月29日 下野新聞の記事より引用『安愚楽牧場から献金 西川議員代表自民支部(12月29日)
自民党の西川公也衆院議員(70)が代表を務める同党栃木県第2選挙区支部が、昨年8月に破綻した畜産会社「安愚楽牧場」(那須塩原市埼玉)から
少なくとも2006~10年に計125万円の献金を受けていたことが28日、政治資金収支報告書で分かった。秘書を務める長男(41)が破綻直前まで2年間近く同社顧問を務め、報酬を受け取っていたことも判明した。
消費者庁の昨年の調査では、同社は遅くとも07年3月以降、飼育していた繁殖牛が、オーナーと呼ばれる出資者との契約数に満たない状態だった。
複数の元社員は、同時期には出資金を配当に充てる「自転車操業」だったと認めており、一部が献金にも回っていた形だ。
西川氏の事務所は「125万円のうち献金が確認できた75万円は今月25日に返金した。残りも資料が見つかれば返す」とした。
長男が顧問を務めたことには「前回衆院選で落選して秘書を失業したため、再就職しただけだ」と釈明。報酬の受領も認めたが、労働実態はあったとしている。
政治資金収支報告書や栃木県選挙管理委員会によると、前身の「安愚楽共済牧場」が06~08年、安愚楽牧場が09年と10年に毎年25万円を献金していた。
元社員によると、三ケ尻久美子社長(68)が陳情のため西川氏を訪れていたという。 』
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20121229/950884
https://megalodon.jp/2012-1230-0540-20/www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20121229/950884 http://i.imgur.com/6k6JbAM.jpg
●143 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 12:55:37.82 ID:2c32H8Rl0 (2/10) [PC]
重大な人権侵害事件であった慰安婦問題が認識されはじめてからすでに20年以上を経ている。
その間、日本政府は「河野談話」を出し、事の深刻さの認識を示している。
しかし裁判の中では「日韓協定」を楯に、決して補償責任を認めなかった。
本書の読みどころの一つは、裁判所が事実認定したサバイバーの被害実態である。
裁判の中では31人のサバイバーが、拉致または拉致に近い形で慰安婦にさせられた実態が浮かびあがった。
中国訴訟の高裁において裁判所は、
「日本軍構成員によって駐屯地の近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、
監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわいる慰安婦状態にする事件があった」
と判決文を読んでいる。韓国人サバイバーに関しても、10人中6人が拉致被害として認定され、
ほぼ全員が10代の少女であったという。
さらに裁判の中で今日に残る心の痛手=「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)が、専門家の診断と共に語られ、
他人からの離脱や快楽の喪失、恐怖とパニック、フラッシュバック、不眠などの被害が認定されている。
慰安婦問題は「20世紀最大の人権問題」(米下院決議)であり、
1日も早くなされねばならない「慰安婦」問題の解決に向けて本書の有用性は高い。
司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)
http://www.amazon.co.jp/dp/4780305144/
●310 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:13:07.35 ID:2c32H8Rl0 (3/10) [PC]
■白馬事件以外の強制連行(2)
——————————–
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。
・・・日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。
彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。
海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。
此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。
是等の逮捕は主として各兵曹長によって行はれました。
一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。
守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の尽力によって集められました。
上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html
●326 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:14:11.40 ID:2c32H8Rl0 (4/10) [PC]
日本政府は、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、強制動員を立証する直接的な証拠がないと主張してきたが
これに関する国際軍事裁判の資料を保管していたことが分かった。
日本共産党が23日発表したところによると、日本政府が同党の赤嶺政賢・衆議院議員の質問に対する答弁書で「日本政府が『バタビア臨時軍法会議の記録』を保管している」と伝えたという。
同資料は、日本政府が1993年、慰安婦の強制動員について認め謝罪した「河野談話」を発表した当時に入手、調査した後、現在まで保管していたとのことだ。
バタビア臨時軍法会議の記録は、日本軍が1944年、インドネシア(当時オランダ領)のジャワ島スマランなどにあった収容所3カ所から
少なくとも24人のオランダ人女性を慰安所に連行し強制的に売春をさせた、
いわゆる「白馬事件」について審判を行うため、戦後にインドネシアのバタビアで行われた軍法会議に関する記録だ。
1948年当時の軍事裁判で、日本軍将校7人や軍属4人の有罪が認められ、1人に対し死刑判決が下った。当時の裁判では「日本軍がオランダ人女性たちを慰安所に強制連行し
脅迫などにより売春を強要した」と結論付けた。
日本政府は関連資料を保管していながら、これまで国会での答弁の際、軍や官憲による直接的な強制動員を示す文書はない」と主張してきた。
赤嶺議員は「日本政府は関連記録を保管していたが、第1次安倍政権下の2007年以降、関連資料はないという誤った答弁を続けてきた」と主張した。
一方、オランダ政府も、インドネシアで旧日本軍がオランダ人女性を慰安婦として強制動員した事件について調査を行い、1994年1月に報告書を発表した。
当時の調査では、65人が慰安所に強制連行されたと推定した。
https://fbcdn-sphotos-f-a.akamaihd.net/hphotos-ak-frc1/600774_484146848333155_1382852703_n.jpg
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/nyankosensee/20090914/20090914005838.jpg
司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)
http://www.amazon.co.jp/dp/4780305144/
●339 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:15:15.77 ID:2c32H8Rl0 (5/10) [PC]
■業者を雇い便宜を図り、募集指示・人数割当したのは日本軍日本政府
———————-
○南方派遣渡航者に関する件(台湾軍司令官 昭和17・3・12)
陸密電第六三号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人五〇名為し得る限り派遣方南方総軍より要求せるを以て、
陸密電第六二三号に基き憲兵調査選定せる左記経営者三名、渡航認可あり度申請す
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf(p203)
○南方派遣渡航者に関する件(台湾軍参謀長 昭和17・6・13)
「ボルネオ」に派遣せる特種慰安婦五十名に関する現地著後の実況、
人員不足し稼業に堪へざる者等を生ずる為、
尚二十名(慰安婦)増加の要ありとし、左記引率岡部隊発給の呼寄認可証を携行帰台せり。
事実止むを得ざるものと認めらるるに付、慰安婦二十名増派諒承相成度。
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf(p207)
○南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件(内務省警保局長 1938年11月8日)
(ロ) 醜業を目的として南支方面へ渡航を認むる婦女数は約四百名とす。之を大阪府約百名、京都府約五十名、兵庫県約百名、福岡県約百名及山口県約五十名を割當られたるに付ては
之を引率する為適當なる者を前項に依り選定し、其の引率者(抱主)に限り陰に行ふ右婦女の雇入れを認め、其の渡航は以下各項に依り取扱ふこと、
但し渡航する婦女の出府県は右指定府県以外にても差支なきこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%94%AF%E6%96%B9%E9%9D%A2%E6%B8%A1%E8%88%AA%E5%A9%A6%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%89%B1%E3%81%84%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6
●350 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:16:19.99 ID:2c32H8Rl0 (6/10) [PC]
http://megalodon.jp/2013-0312-0720-14/d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130309/1362848490
http://megalodon.jp/2013-0312-0729-24/www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4030658.png
陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 いわゆる「副官通牒」
この文書は吉見義明の発見にかかるもので、軍が女性の募集も含めて慰安所の統制・監督にあたったことを示す動かぬ証拠として、
1992年に朝日新聞紙上で大きく報道された。吉見はこの史料から、
「陸軍省は、派遣軍が選定した業者が、誘拐まがいの方法で、日本内地で軍慰安婦の徴集をおこなっていることを知っていた」
のであり、そのようなことが続けば、軍に対する国民の信頼が崩れるおそれがあるので、
「このような不祥事を防ぐために、各派遣軍が徴集業務を統制し、業者の選定をもっとしっかりするようにと指示したのである」
と解釈し、慰安婦の募集業務が軍の指示と統制のもとにおこなわれたことが裏づけられる、とした3)。
小林よしのりは、この通牒をもって「内地で誘拐まがいの募集をする業者がいるから注意せよという(よい)「関与」を示すものだ」、
「これは違法な徴募を止めさせるものだ」4)、「「内地で軍の名前を騙って非常に無理な募集をしている者がおるから、これを取り締まれ」
というふうに書いてあるわけです」5)と、いわゆる「よい関与論」を唱え、同様の主張が藤岡信勝によってもなされた。
藤岡は「慰安婦を集めるときに日本人の業者のなかには誘拐まがいの方法で集めている者がいて、地元で警察沙汰になったりした例があるので、
それは軍の威信を傷つける。そういうことが絶対にないよう、業者の選定も厳しくチェックし、そうした悪質な業者を選ばないように?と指示した通達文書だったのです。
ですから、強制連行せよという命令文書ではなくて、強制連行を業者がすることを禁じた文書」6)と、言う。
書き出しに「支那事変」や「内地」という言葉が登場することからわかるだろう。この通達は、日中戦争で慰安所を設置するため、
日本国内で慰安婦募集をしていたことについて書いている。つまり、朝鮮半島の「悪徳業者」とは根本的に関係がないのだ。発見者と対立した立場でも、
日本人業者を指した通達であるという解釈は共有していた。もちろん、朝日新聞が歪曲したという中山議員の批判も的外れになる。
●361 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:17:23.51 ID:2c32H8Rl0 (7/10) [PC]
日本人が強制した証拠↓
鹿児島県奄美諸島の沖縄戦
http://blogs.yahoo.co.jp/takahiro992002/48883021.html
沖縄戦は沖縄県だけの戦争ではありません。奄美諸島でも戦われていました。
奄美大島や加計呂間島ではヤンゴの女性達が慰安婦としての役割を果たしていた。これに近いのが喜界島の場合である。
喜界島に駐留していた陸軍の独立混成第22連隊第3大隊(隊長 田村道之助少佐)では、将兵の鋭気培養のため喜界町に慰安所の設置を求めた。(註1)
だが町は協力しなかったようで、田村少佐は町長に軍に非協力的だと暴言を言って威嚇したという。(註2)
すると軍では今度は西平守俊氏に命じると、奄美大島から13名の女性達が連れて来られ、田村部隊本部隣の滝川集落西南方に慰安所が設置された。
営業利益は軍に寄贈されたという。慰安所の経営者5人は西平氏を始め、全員が喜界島赤連に現住所がある人達だった。
だが折角設置した慰安所も軍が「色より食を望む」状態のため(註3)、あまり活用されなかったようだ。
また喜界島の慰安所については、上級指揮官が慰安所の女性を独占し公舎に出入りさせたり、
空襲の際に女性を連れて我先に退避したりして、部下から嘲笑されるということもあったようだ。(註4)
慰安所が当初想定した兵士ではなく、指揮官が利用したのは本末転倒という他ない。
(註1)福岡永彦『太平洋戦争と喜界島』(私家版 1958) 121頁
●372 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:18:29.31 ID:2c32H8Rl0 (8/10) [PC]
映画「終わらない戦争」の予告編を作成しました。あなたの地域・サークル・学校でも上映会を企画しませんか?
ジャン・ラフ・オハーン 〔オランダ〕
日本軍占領下でアンバラワ抑留所に家族と共に入れられる。
日本軍は収容された若い白人女性を選別し、「慰安所」に収容、長期にわたって監禁・レイプした。その中の一人が彼女だった。
韋紹蘭 (ウェイ・シャオラン) 〔中国〕
中国・桂林在住。1944年11月、進駐してきた日本軍によって、乳飲み子と共に拉致された。6~7人の女性たちと馬嶺鎮の「慰安所」に監禁され、日本兵に強かんされる毎日が3カ月間続いた。
命からがら逃げ出したが、やがて「慰安所」で身ごもった子どもが生まれると、村人からは「日本鬼子」と噂され、夫からは「売女!」とののしられるようになった。
李秀山 (イ・スサン) 〔韓国〕
いい働き口があると騙されて中国黒竜江省牡丹江に連れて行かれ、戦争の終わるまでの2年間「慰安婦」としての生活を強要された。「慰安所」生活の中で妊娠し、子宮を摘出された。
この映画のインタビューを受けないと当初拒否していたが、安倍首相の妄言に怒り、インタビューを受けることにした。
フェリシダッド・デ・ロス・レイエス 〔フィリピン〕
1943年、14歳のとき、学校の教室から日本軍の駐屯地へ連れて行かれ強かんされ監禁された。憔悴のあまり見るに見かねて解放された。
帰宅後何度も死にたいと訴えたが、母の「人の命は神様が決めるのだから、自殺してはいけない」という言葉に希望を持ち、生き延びることができた。
ピラール・フリアス 〔フィリピン〕
1942年の終わり頃、ゲリラ討伐に来た日本兵に、顔を2カ所刺され、水に顔を押し付けられ、後ろ手に縛られ、おばと一緒に、3名の日本兵に強姦される。
数週間後日本兵は、村人全員に村からの退去を命じ、村の家は学校を除き全て焼かれた。
18歳の時、今度は多くの日本兵が来て、他のフィリピン女性3名と腰ひもで繋がれ、連行され、繋がれたままレイプ・洗濯などをさせられた。
日本の軍歌など、今でも全部歌える。解放後結婚したが、「慰安婦」被害が問題となり結婚生活は破綻した。
http://www.ianfu-kansai-net.org/63years_on/index.html
●398 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:21:19.57 ID:2c32H8Rl0 (9/10) [PC]
南京大虐殺。
http://i.imgur.com/pGQIo5Z.jpg
若い中尉が伝家の宝刀で試し斬りをしたいと言ってたとある。右上から読め。
http://i.imgur.com/5phzhn8.jpg
軍事行動として便衣兵を殺すために列強国の人々の中にも被害は出て。
便衣兵を殺すために一般人も巻き込んで殺したとある。
以下その他証拠。(旧陸軍士官出身者による親睦団体“偕行社(かいこうしゃ)”によって、
元南京戦従軍者から聞き取り調査を行い機関紙に掲載されたもの)
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shougen_kaikosha.html
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking01.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking02.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking03.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking04.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking05.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking06.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking07.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking08.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking09.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking10.pdf
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking11.pdf
●946+2 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 16:08:27.84 ID:2c32H8Rl0 (10/10) [PC]
韓国人の親も子も日本人に騙されていた!
騙されたと言う証言が複数ある
———————————–
○『漢口慰安所』図書出版社,1983年
軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市
赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを
慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
○海原治主計少尉(のち防衛庁長官)
「民間のピー屋が日本人主体なのに、こちらは朝鮮人が主だった。軍医の話では「初検診でバージンや小学校の先生もいたので聞くと、
女衒から軍の酒保でサービスするとだまされてきたよし。帰ったらとすすめたら、前借金があるので返してからでないと帰れないと語った」とのことだった」
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/ianhu.html
○ネトウヨが最近お気に入りの米軍報告書
1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。
この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。
このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html
954 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 16:11:40.14 ID:mW4FI3az0 (3/4) [PC]
>>946
>前借金があるので返してからでないと帰れないと
結局、売春に同意してんじゃねーか
嫌なら帰ってまっとうな仕事しながらコツコツ返せよ
●411 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/08/06(水) 13:22:43.69 ID:neQi7/oQ0 [PC]
南京大虐殺40万人説の初出は産経新聞記事連載蒋介石秘録[1975]
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Wk9B5kqAL._SL500_AA300_.jpg
「蒋介石秘録12 日中全面戦争」P69-70(産経新聞連載記事の単行本。サンケイ出版)
南京防衛線における中国軍の死傷者は六千人を超えた。しかし、より以上の悲劇が日本軍占領後に起きた。いわゆる南京大虐殺である。
全世界を震え上がらせた蛮行
日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長江(揚子江)岸に整列させた、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
虐殺の対象は軍隊だけではなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千人の婦人が、
大型トラックで運び出され、暴行のあと、殺害された。
日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、日本の新聞に大きく報道された。
虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中にうめ、軍用犬に襲いかからせる”犬食の刑”、
鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる”鯉釣り”、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火のなかに放りこむ”ブタの丸焼き”-など、
など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は二ヵ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、
いまだにその実数がつかみえないほどである。
『倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。
野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。
それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。』(一九三八年一月二十二日の日記)
南京に住む外国人たちで組織された難民救済のための国際委員会は、日本軍第六師団長・谷寿夫にたいし、
放火、略奪、暴行、殺人など計百十三件の具体的事例を指摘して、前後十二回にわたって厳重な抗議を提出したが、
谷寿夫は一顧だにしないばかりか、逆に、血塗られた南京の状況を映画やフィルムに収め、日本軍の”戦果”としてほめたたえたのである。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9DSGA
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120226/1330258512
●626 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [sage] :2014/08/06(水) 13:58:05.86 ID:9vGAcrRJ0 (1/2) [PC]
『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』
(二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、
同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(「岡村寧次大将資料」(上) P302~P303)
慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様←ココ注目
岡村寧次大将回想記「私は恥かしながら慰安婦案の創設者である」
岡村寧次
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%AF%A7%E6%AC%A1
岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 – 1966年(昭和41年)9月2日)は、
日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、
官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。
父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛
の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。
『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』(稲葉正夫編、原書房 なお、(下)は刊行されていない)
慰安婦(『資料(上)』によれば、慰安婦制度を最初に考案したのは岡村。
第一次上海事変当時のことで、強姦事件が起きたために長崎県知事に依頼して慰問団を
送ってもらったと述べている)
________________
朝日新聞 吉田証言捏造報道(誤報報道)が出た直後の工作員です。
記念に証拠として、あるいは後の研究資料として
残しておきたいと思います。