日本統治前の李氏朝鮮  首都漢城 と 同じ頃の日本 画像で比較

555 :名無しさん@13周年 [] :2014/02/04(火) 15:31:40.19 ID:URbWmD3w0 (3/3) [PC]
>自己の文明を世界の中心と考えるのが明国(中国)の中華思想で、明国の兄弟国を自認した李氏朝鮮は、日本をはじめとする周辺の野蛮な国に、礼や文物を教えてやる立場だと信じていた。

しかしこれが悲しい現実

日本統治前の李氏朝鮮 首都漢城(現在のソウル)
1895年 南大門 http://www.geocities.jp/dinetomi76/0003.jpg
0003

1888年 南大門大通り http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/4.jpg
4

東大門通り http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo54.jpg
keijo54

全景 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/60zenkei.jpg
60zenkei


1863年 愛宕山から見た江戸 http://livedoor.4.blogimg.jp/nwknews/imgs/b/7/b7befd68.jpg
b7befd68

1890年代 東京 愛宕山からの眺め http://www.oldphotosjapan.com/images/189.jpg
189

1890年代 新橋 http://www.oldphotosjapan.com/images/12.jpg
12

1890年代 東京 吉原の遊廓 http://www.oldphotosjapan.com/images/151.jpg
151

1900年代 横浜元町からの眺め http://www.oldphotosjapan.com/images/35.jpg
35


イザベラ・バード「朝鮮紀行」(1894年~1897年の朝鮮旅行記)
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の
「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、
尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、
犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。 蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が
かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」


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参考:

243 :名無しさん@13周年@転載禁止 [] :2014/04/30(水) 15:30:00.41 ID:522O2yEY0 (2/2) [PC]
コピペ

鶏泥棒で有名な「朝鮮通信使」。江戸時代に来てた彼らは 「いつかこの国を自分の国のものにしたいものだ」
って書きしるしている。
モンゴル人の元寇も朝鮮人がモンゴル人に、たきつけたのがきっかけである。


朝鮮通信使、金仁謙(Kim In Kyeom)の著書『日東壮遊歌』より

大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。 凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。 信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。

京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。 悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。 悔しい。

この犬のような倭人を全て殺して掃討したい。
そして、この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の国にしたい。