その事自体に正当化は出来ないだろうが、それ自体では悪にもならないのだ

562+1 :本当にあった怖い名無し [sage] :2013/10/11(金) 09:41:55.00 ID:1IMJViID0 (1/3) [PC]
偽物と本物がいるんだと所詮外部からわかりもしない二勢力を立てて
うやむやにして都合の良い時にどちらかを使う
これは基本的なあちらのやり方
バチカンはそれを多用した
イエズス会とそれ以外みたいなもので
そしてイエズス会とフリーメーソンの関係は深い


565+2 :本当にあった怖い名無し [sage] :2013/10/11(金) 13:35:34.67 ID:1IMJViID0 (2/3) [PC]
>>564
それは知らない
が、欧米諸国がどこかに食い込もうとする時に多用する戦術が
「本物と偽物」というのと「良いものと悪いもの」と「優しいのと酷いの」をそれぞれ用意して
都合のいい方を使い分けながら食い込んで侵食していくというやり方
いつもこれやってるのが実態
そしてどっちも上をたどっていくと似た様な人脈に突き当たる
確かにそれがキリスト教やユダヤ教の「真髄」かもなw
ロクなものじゃないと思うけどね
それは詐欺師の手法だから


575 :本当にあった怖い名無し [sage] :2013/10/11(金) 15:37:30.12 ID:1IMJViID0 (3/3) [PC]
善悪は一元であり一元ではないと言える
善は突き詰めるとそれは中庸
悪というのはそれを損なうものだ
それは人間の仕様に由来する
不正がない事自体は喜ばしいが、不正が全く有り得ない世界もまた不気味で不健康なものだ
そういう極端さは人間にはそぐわないからだ
人間が社会生活をする上に置いて、ちょっとしたごまかしなどは潤滑油でもある
またなんでも思った事をいってしまう様な世界では争いが絶えないだろう
だから、不正もある程度は必要だ
何でもかんでも正直にやると言うのは人間には馴染まないからだ
しかし、それも程度問題であくまでも「基本的には正直にやる」というのが前提にないと
そのような小さな嘘やごまかしも良い意味を持たなくなる

で、所謂、悪の組織みたいなものというのは、おかしな手段を駆使して食い込んだり、
勢力範囲を広げたりするのだが、それらの組織の目的というのが創作であれ現実の物であれ
ある種「嘘やごまかしを許さない世界」を志向しているのは特徴的である
共産主義国家自体、上は平気で嘘をつくのだが、下には過度な正直さを求めたものだった
これは相通ずるものであり、どちらも極端なのである
キリスト教が不健康さを帯びている理由の一つが懺悔と免罪符に集約されている
過度に懺悔する必要がどこにあるのか、あるいはまたそれを免罪してもらう必要もどこにあるのか
無用な事なら黙ったまま、犯した罪をそれと言わずとも償う姿勢があっても良いがキリスト教などはそれを仕組みとしてとらない
恐怖政治をやっている政府もほぼ必ずそのような傾向を持つ
そういう意味での「寛容さや融通性」がないのがこの手の組織や思想の特徴であり、それが強すぎるものは多くが「悪」となるのだ
人を裁いてはならないというのは一つはこれに起因するのかも知れない
つい自己正当化したくなるというその行為自体が、悪に踏み込むのである
そうやって裁くよりは「俺はあいつが嫌い」などと率直に言う方が遙かに問題がない
その事自体に正当化は出来ないだろうが、それ自体では悪にもならないのだ


580 :本当にあった怖い名無し [sage] :2013/10/11(金) 21:51:54.15 ID:KlxLpLGd0 (2/2) [PC]
定められた形での善悪は存在しないと言っても良いかもしれない
だが無いかというとそれはまた違うと思う
つまる所それは意志なのだ
より公正であろうという意志であり、より公平であろうという意志
そこにおいてその時々においての何が正しいのかが決まってくる
静的な形でそのような事柄に一々関わらないという立場であれば淡々とした現実があるのみだ
確かにそれはそうなのだが、現実というものは生き物である
誰かが世話をしてやらなければいけないなまものが現実である
そして、それら個々の現実に対しての適切な対処、それ自体が善という事になる
よって、固定されたドグマはその時々において如何に立派に見えても既に悪の要素を孕んでいる訳でもある
だから全ての教えは常に根本に立ち返らないと自動的に腐るのだ
聖典に書かれたべからず集なども、その言葉が書かれた意味、発せられた意味、その状況まで考えないといけない
機械的に受け取り、それを適用しようとすると、その段階で既に危うくなっているのである
もちろんそれはそのようにあろうとする人間にとっても常に誤りへの罠が用意されているという事でもある
物事を適性に扱おうという事においては突き詰めると正解がない
が、にも関わらず、それを重々承知した上で、あえて正解や適切な対処を探そうとするその姿勢
何故なら現実は常にそのようなものが必要だから
それが難しいという事を承知した上であえてそれ探す
それが「善」である


582 :本当にあった怖い名無し [sage] :2013/10/11(金) 21:57:06.12 ID:bKiPfhZU0 (3/3) [PC]
絶対正というのはないよね。
しかし上善というのはあるね。


586+1 :本当にあった怖い名無し [] :2013/10/12(土) 00:41:13.81 ID:i1h1Uc/i0 (2/3) [PC]
それもきれいごとだけどね。
現実に直面すれば見てみぬふりをするのが凡人の普通の思考。
それを普通と思わないから凡人から賞賛されるんだよ。


587 :本当にあった怖い名無し [] :2013/10/12(土) 01:00:52.19 ID:i1h1Uc/i0 (3/3) [PC]
凡人ってのは能力のことではなく精神性のこと。