百人町 ・・・ 不法占拠の街(新宿区大久保)

670 :名無しさん@0新周年@転載は禁止 [] :2014/07/12(土) 04:22:51.06 ID:D9dEgxON0 (14/18) [PC]
★ 百人町 ・・・ 不法占拠の街

終戦後の1945年から1946年にかけて、住宅営団によって百人町越冬住宅が450戸建設されていたほか、戸山が原には集合住宅団地が建設され、一帯は住宅地と化した。
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日雇い労働者や在日朝鮮人などは
空き地や山手線、中央・総武線のガード下を不法占拠して住みつくようになり
現在の大久保界隈の元になるバラック街が形成された。

1950年にロッテ新宿工場が操業を開始すると、
雇用を期待した本国の朝鮮人や在日朝鮮人などが更に集まった。
1950年代には済州島四・三事件や朝鮮戦争の影響で
朝鮮半島から逃れてきた朝鮮人が流入。
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現在のようなコリア・タウンが成立した。
その後簡易宿所も増え、1960年代には一時東京では山谷と並ぶ寄せ場となっていた。
1970年代頃からエスニック料理店や韓国・朝鮮雑貨店などは少数ながら点在していた。
韓国で海外旅行が自由化された1980年代末以降、いわゆるニューカマーの韓国人の住民が増え始め
国際化・グローバル化の影響で1990年代以降韓国・中国・フィリピン・タイなど周辺アジア諸国関連の店舗や留学生向けのアパート・日本語学校などが増加した。
バブル期には東南アジア出身の「ジャパゆきさん」や出稼ぎのイラン人の姿もよく見られた。
近年の韓流ブームも相まって、エスニック系の店を訪れる日本人も増えているほか
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韓国外換銀行新宿出張所も同地にある。
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マスメディア等では観光名所を紹介する視点から職安通りや大久保通り沿いに軒を連ねる韓国・朝鮮系商店
などが紹介されることが多いが、いずれも基本的には大久保界隈の在日朝鮮人が生活物資を手に入れるための店である。
1990年代以降のドヤ街の労働力需要の低下により大久保の日雇い労働者・ホームレスは減りつつあるが、現在も簡易宿所は複数存在している。
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またかつての簡易宿所の中には建物を改築して
格安ビジネスホテルやラブホテルに業態変更した宿も多い。
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