戦後日本でレイプ・殺人など暴虐の限りを尽くした密入国朝鮮人

1+1 :武装反日難民たち [] :2015/11/02(月) 11:04:45.43 ID:XJlki2JM (1/15)
■ハーバード大学教授エドワード・ワーグナー(朝鮮史)の言葉
「韓国のイメージ」鄭大均 1995年 中公新書
連合国総司令部(GHQ)の担当官として終戦直後の日本に駐留し、後にハーバード大学教授となった
エドワード・ワグナー(朝鮮史)は、『日本における朝鮮少数民族』(原著1951年)という論文で次のように記している。

戦後の日本で韓国人は常に刺激的な勢力だった。
人数は激減したが、韓国人は依然として騒々しかった。感情的であった。
無駄な疲労の原因になるような集団だった。
彼らは絶対に敗戦国民の日本人に加担しなかった。
逆に戦勝国民の仲間入りをしようとした。
韓国人は「日本の法律は我々には適用されない!」と考えていた。
だからアメリカ占領軍(GHQ)の指令も日本の法律と同じように殆ど無視して行動した。
韓国人の行動は日本国内に非常な混乱を発生させた。
占領当初の数ヶ月、在日韓国人炭鉱労働者の頑強な反抗のせいで、
日本の重要産業の石炭産業の再建は損害を被った。
経済的領域での韓国人の様々な活動は、日本経済再建の努力を頻繁に妨害した。
1948年の神戸の緊急事態宣言は日本の教育改革を韓国人が妨害した結果だった。
占領当局(GHQ)が決定した韓国人帰国政策を日本政府が実施しようとすると、これも妨害した。

朝鮮進駐軍の名は登場しないが、戦後混乱期の日本国内で在日朝鮮人が、
戦勝国民であるとして、集団で狼藉をはたらいていたと見てとれる。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:05:31.76 ID:XJlki2JM (2/15)
「現代コリア」5月号に「『三国人』は本当に差別語か」

現在の総聯の前身団体である「在日朝鮮人連盟」指導部は1946年初頭と推定されるが
「われわれは今まで、搾取と奴隷的な差別待遇を受けた。日本の敗戦で開放された現在、
われわれは連合国人であるから、敗戦国日本の法令に従う義務はない」
「われわれは二等国民で、日本国民は四等国民となった。したがってわれわれは
日本国民より優遇されるのは当然であることを、あらゆる方法で日本人に知らせなければならない」
「戦争中われわれを虐待した日本人は、戦犯として制裁を加えなければならない」
(坪井汕二『在日朝鮮人運動の概況』)と在日朝鮮人を「連合国人」と勝手に位置づけ、
日本の法令に従う必要のないことを公然と主張し、その通り実行した。

1945年9月10日に結成された在日朝鮮人連盟(以下「朝連」と略す)中央準備会は、
すぐ「帰国同胞援助」活動に入り、朝連が韓国などに帰国する在日朝鮮人に「帰国証明」を発行、
列車・バスの無賃乗車、時には客車の中に「朝鮮人専用」と書き、日本人を乗車させないこともあった。
駅長を脅かし、発車した列車を呼び戻したりもした。
・・(中略)・・
引きつづき、GHQ(連合国総司令部)は同年9月30日
「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行乗車券禁止に関する覚書」で、朝連が「地外法権的地位にないこと」
を明らかにした。この覚書を見れば分かるように、朝連は、これまで「治外法権」を持っていたのである。
当時、各地の朝連は、保安隊、自衛隊、警備隊、自治隊などを作り、
独自の警察権力類似行為を行っていたりもしていた。
また、「朝連」の名によって、集団強盗、略奪、殴打暴行、破壊、占拠監禁、人民裁判などが行われた。
・・(中略)・・

このような具体的な在日韓国・朝鮮人と日本人の社会関係の中で、日本人が「三国人」なる言葉に
特別な意味を込めて使用するようになったのである。
公然と社会秩序を乱し何事も暴力で解決しようとする在日韓国・朝鮮人の言動に、
日本人が、「三国人」は恐いと考えることが「民族差別」というのだろうか。
・・(以下略)・・


3 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:06:40.43 ID:XJlki2JM (3/15)
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/2/img/200905/394603.jpg
在日本朝鮮人連盟中央総本部(後の朝鮮総連本部)を警備する「朝鮮進駐軍」の画像。
左の画像では旧日本軍の軍服を着た朝鮮人が、手に警棒らしき物を持っている。
右の画像では朝鮮人の背面右腰部にホルスター(拳銃を収めるケース)
が確認できる。
朝鮮進駐軍が軍服を着用する事により、威圧的ないでたちをして
警棒・銃器で武装した集団である事がわかる。


ネットの「国会会議録検索システム」で朝鮮人について検索すると
朝鮮進駐軍に関すると思われる議事録が、多数ヒットします。

◎国会会議録 参議院 治安及び地方制度委員会11号 昭和23年4月27日より抜粋
(前略)
治安の見地から日本に在留いたしておりまする朝鮮人の犯罪問題につきましては、
特に多大の關心を抱きまして、今日までいろいろ研究を續けて參つたのでございますが、
たまたま本日の四日から七日に亙りまして、靜岡縣濱松市において、同市在住のテキ屋、
及び興行師の親方であるまする小野某なる縣會議員を主盟といたしまする小野組一家の者と、
朝鮮人とがそれぞれ約二百名ばかりずつ、何れも徒黨を組みまして、同市内數ヶ所において、
それぞれピストル、獵銃、竹槍その他の武器を以て爭鬪いたしまして、
これを少しく大袈裟に申しまするならば、市街戰を演出いたしまして、死傷者十數名を出しました。
同市の自治體警察は、靜岡縣國家地方警察及び附近の自治體警察、
竝びに岐阜縣駐在の進駐軍の應援によりまして、漸くこれを一時的に鎭壓いたしたのであります。
又これと似たる事件は、時を同じういたしまして、愛知縣犬山町にも起り、
これ亦專ら進駐軍の應援下にこれを鎭壓するに至りました。
(中略)
昭和23年4月 静岡県浜松市で起きた有名な「浜松事件」についての議事録です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E6%8A%97%E4%BA%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6)


4 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:08:04.86 ID:XJlki2JM (4/15)
吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
–中略–
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する
予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂
(田中宏「在日外国人」より)


5 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:09:00.71 ID:XJlki2JM (5/15)
GHQ公文書記録1947年~50年間だけでも約4600人もの日本人殺害

■     終戦後 「朝鮮進駐軍」部隊と名乗る武装集団が各地に出現 ③

通りすがりの市民に言いがかりをつけ、目が合えば気にいらないと言っては集団暴行、
飲食店に入っては無銭飲食などは当たり前、また白昼に目に付いた婦女子を路上で
集団強姦など日常茶飯事に繰り返される戦後があった。

バスや電車列車では駅員を殴り倒して乗り込み、乗客を殴り金品や荷物を奪い取るなど
やりたい放題だった。 日本の丸腰警察をいいことに、白昼堂々と警官狩と称す「殺し」も
全国で多発した。武装した「朝鮮進駐軍」が日本の警察署を襲撃する事件が全国各地で
多発していた。彼らは、当時米軍と同じ外国人扱いで、国内の治安法律等は外人の彼ら
には一切及ばなかった。日本人を殺しても一切罪にならなかった。この間に一万人以上の
日本人市民が殺害されてたと見られている。GHQの記録として残っている分だけでも四千
人以上の日本人が殺害されている。

やりたい放題で日本人支配が進み、「朝鮮進駐軍」による軍事行動が起きた。日本政府
乗っ取りクーデターが、1946年の「首相官邸暴動事件」。約2000人の武装した「朝鮮進
駐軍」が「戦勝国民」の権利を掲げ首相官邸に突撃、「朝鮮進駐軍」は日本の警官隊や米
軍憲兵隊との銃撃戦となった。

この日本全土で暴れまくる「朝鮮進駐軍」の襲撃殺人は、工場施設や企業、官庁の破壊
活動と次第に共産軍化し、ついに米軍施設も襲撃されたことから、最高司令官ダグラス・
マッカサー元帥が、米軍第八軍団に重装備させ日本各地の「朝鮮進駐軍」武装集団の鎮
圧に動き制圧し彼らを解体し終った。しかし、この人殺し朝鮮人達は処罰を受けることなく、
今ものうのうと日本で暮らしている。


6 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:09:50.51 ID:XJlki2JM (6/15)
◆京都「朝鮮進駐軍」が暴れ朝鮮人が住民を追い出し・・・・ 朝鮮部落「同和」だらけになった京都

先祖代々日本人しか住んでいない京都の中心部に、朝鮮人が押し寄せあっちこっちに「部落同和」ができた

京都も「朝鮮進駐軍」と名乗る朝鮮人連中で酷かった。火を付けられた家や、強姦されて一家が皆殺しにさ
れた家も多かった。日本人の多い中心街が軒並み朝鮮人集団がやって来て、戦後直後は大人の男は戦争
でいないし、婦女子と老人しか居なかったことから、奴らが勝手に入り込んで家も家財も土地も略奪して、皆
な追い出されて酷かった。戦後直後は女な子供に老人しかいないから、朝鮮人らには簡単なことだった。

ある日、家の住人が居なくなったと思ったら、朝鮮人がいるんだよ。たずねると家の人は田舎に帰ったて言う
んだ。近所にも挨拶もせずにか?。朝鮮人達は留守番を頼まれたと、その家に朝鮮人が何人も居るんだ。そ
うこうしているうちに、その家族の無残な骸の死体が見つかったんだよ。周りの住人が問いただすと、朝鮮人
達は知らないと言い張り、この家をもらったとか言い始めるんだ。そのまま朝鮮人達は居座りながら、今度は
周りの住人も脅し始めた。そんなこんなで土地や家なんかも占拠されてしまう。そんな事が、いたる所で起き
てたよ。朝鮮人は日本人を殺しても犯罪にならないから、警察も手が出せない。彼らに法が及ばないから、日
本人を殺して屋敷土地財産を奪うことが平気で起きていた。そんな恐ろしい戦後が京都にもあった。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:10:20.94 ID:XJlki2JM (7/15)
山口組三代目 「田岡一雄自伝」 1982年 徳間文庫

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。

この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」私は少女をその場において一目散に走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服(朝鮮人)の男たちだった。

通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、
無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。
善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。

こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には
目にあまるものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、
街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。玉音放送ののち、今まで同じ日本人として権利を享受してきた
朝鮮人の態度がガラリとかわり、敗戦の責任を日本人とともに背負うのを拒否しだし、
それを正当化するために日本人に牙をむきはじめる。隣組み組織や防空演習等いっしょにやってきて
同じ日本人として助け合っていたのに、この変わりように、初め祖父は「冗談だろ?」と思ったらしい。

しかし、事は悪夢以上だった。
集団で土地をロープで囲み、バラックを建てていた家族を殺害し占拠する。
白昼、商店を襲い、商品を根こそぎ奪いそれを闇市で売りさばく。

バスや列車に無銭で駅員を殴り倒し、どかどか乗り込み、網棚の荷物を外に放り投げ、
そこで高いびき。警官狩りをして堂々と殺す等等。祖父曰く「町は彼らの遊び場になった。
日本人は逃げ惑うだけになった。

こういった真実は現代のマスコミでは完全なタブーとなっている。
著名な駐日大使ライシャワーの「日本史」でも戦後の朝鮮人の
横暴は記載されていたが、たった1行書かれていただけなのに
在日や左翼の抗議が殺到したという。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 11:11:23.46 ID:XJlki2JM (8/15)
朝鮮進駐軍の横暴

2009/8/19(水) 午前 6:52日韓史歴史
 昭和20年の敗戦直後に「朝鮮進駐軍」と称する朝鮮人が治外法権的な特権を有するがごとく振舞ったことがあります。
買出し列車を占拠し、座席に座っている日本人は女性年寄りでも構わず蹴散らされ、文句を言うと集団で袋叩きにしていました。
鳩山一郎(後の総理大臣)も車中で朝鮮人に襲われ瀕死の重傷を負っています。

「お前等四等国民の日本人が我々二等国民である朝鮮進駐軍に指図するとは生意気な」

 朝鮮人の横暴は闇市に進出し、旧軍の倉庫から奪った自動小銃で武装し始めます。
こうなってくると警察もお手上げで軍隊は解散しており、阻止できる武力はなく、強盗、放火、土地の不法占拠、強姦とやりたい放題です。
GHQはある程度黙認しています。デバイドアンドルールですね。
 昭和二十年十月に組織された在日朝鮮人連盟は極左暴力組織へと変貌していきます。
そして日本共産党の指導により労働争議への介入、交番焼き討ちなどのテロ行為を行っていきます。
昭和二十三年にはGHQの指示により文部省が在日朝鮮人にも教育基本法に基づく教育を指導したところ民族弾圧として大阪府庁、兵庫県庁に突入し、
破壊行為を行い、翌年、暴力主義団体の指定をうけて解散となります。
しかし、この残党は日本共産党に利用され、朝鮮戦争勃発後、27年にに皇居前にデモ隊を突入させます。(約半数が朝鮮人) 
朝鮮半島への軍事輸送拠点をデモ隊が襲う事件もおこっています。
朝鮮戦争勃発により国内の米軍を補完する目的で誕生した昭和25年の警察予備隊(昭和27年保安隊、後自衛隊)はこれらの共産党、
および朝鮮人の動きとは無関係ではないでしょう。これらの朝鮮人組織は現在、民団と総連に至っています。

陸だけでなく海でも日本の漁船は韓国の警備艦艇によって拿捕され抑留されています。
233隻2,791人に及びます。抑留生活は奴隷的扱いであり長い人で3年に及びました。

参考文献
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」


9 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 16:39:53.72 ID:XJlki2JM (9/15)
田中明 日本人の見た戦後日韓関係 「現代コリア」1992年12月

「敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力な警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。
超満員の列車から日本人を引きずりおろして、自分たちが占領するといった光景は、
決して珍しいものではなかった。くどくどいうのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、
著書『回顧録』のなかで『今でもそのときのことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする』と書いていることから想像していただきたい。
そうした姿は『朝鮮人=無法者集団』という印象を日本人の胸に強く植え付けた。
外国人の指紋押捺制度が1955年に採用されたのも、上記との関連があった。
朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。
密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収が絡む)それを売ったり、
そうした幽霊人口によって得た配給資料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった」

毎日新聞社編「白い手黄色い手」1956年
「完全な無警察状態 - 。そのいい例が24年春、東京深川でおこった枝川町事件である。
朝鮮人4人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。
犯人の身元がわかり、深川署の刑事二人が逮捕状を持って(略)出かけたところ、(略)逆に”不審尋問”され、袋叩きの目にあった。
当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。
“見まい、聞くまい、振り向くまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという」

 いくらがんばってもやったことは消えません。

終戦直後から朝鮮人は「お前ら四等国民の日本人がわれわれ二等国民である朝鮮進駐軍に指図するとは生意気な!」といって横暴を繰り広げました。
鳩山一郎(前総理の祖父)が半殺しにされたのは有名な話です。
昭和20年10月には「在日本朝鮮人連盟」が結成され共産主義組織となり占領軍と対立するようになります。
メーデー事件、吹田・枚方事件、大洲事件などがあります。

 こうした朝鮮人の加害性は80年代以降にメディアによって「被害者」にすりかえられて、
現在でもWikiの削除や「ヨーコ物語」の弾圧に見られるように歴史抹殺の動きにきています。
しかし、こうした歴史の捏造・歪曲はどこかに反動がくるもので、それがネットに吹き出ており、
本記事もそのひとつに数えることができます。

参考文献
 「在日・強制連行の神話」鄭 大均著
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『朝鮮進駐軍と三国人』詠清作


10 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 16:42:18.01 ID:XJlki2JM (10/15)
●正論2003年6月号掲載  評論家 黄 文雄 
「誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差」

●『在日・強制連行の神話』( 鄭大均著 文春新書)より
「在日の多くは海峡を自らの意志で越えたのだ。 在日は強制連行されてきた人々とその末裔だと
 する主張がある。 が、一世の証言に丹念にあたれば、それが虚構にすぎないことが分る」

●『これでは困る韓国』呉善花、崔吉城 1997 より
呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうが
ずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰っ
てしまったわけですから。」
崔「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。」

●朝鮮人によるマスコミへの卑劣な圧力が無かった頃は、朝日新聞も大量の密入国者がいる事実を報道してました。
『朝日新聞 1959年6月16日付』 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹)より
「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られている」

●『歴史を捏造する韓国 韓国併合と搾取された日本』中川八洋著より
「GHQは「在日」の朝鮮人の”帰国”に過剰ほどの支援をなして、すべての希望者に
 帰国のための無料の船便を提供しています。」


11 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 16:42:59.82 ID:XJlki2JM (11/15)
元在日二世の教授ら「在日は、強制連行によってではなく自ら喜んで日本に来た」
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1270219206/
朝鮮人は半島に帰ってもいいのに自らの意思で日本にいて文句を付けている 例外は犯罪者を除き1名もいない
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1270413882/
【社会】 「戦時中に日本に徴用された!だから外国人参政権を!」→徴用、実は在日朝鮮人61万人のうちわずか「245人」でした★5
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1268334254/
★在日朝鮮人、戦時徴用わずか245人

・戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、
 当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、
 分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が
 明らかにした。

 永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が
 自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/367230/

朝鮮人が戦前から日本に密航渡航してた証拠
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/2a/145350be4ef35eb483ea7799460ecd5f.jpg
在日朝鮮人が自ら日本に密航渡航した証拠
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/24/90da8f8546636dac0f2f48940d428864.jpg
収容所の大量の在日朝鮮人密航渡航者
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/0c/d390985c6c32a6280d237c5b12dfdfa8.jpg



12+1 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 16:43:43.72 ID:XJlki2JM (12/15)
[009/010] 22 – 衆 – 法務委員会 – 23号http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0488/02206180488023a.html
昭和30年06月18日

○小泉政府委員

六十万と推計をせられる朝鮮人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もい
ないといっても大した言い過ぎではない。一方向うからは、入れれば、それこそ手段
方法を選ばず、命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入って
くる。そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容
易に受け付けないというところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との外
交問題と申しますか、もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となって
ここに横たわっておるのは、私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると
思うのであります。ですから、要するに、こちらは国際的ないわゆる紳士としての態
度をもって韓国に接しましても、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、御承
知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、こちらから、密航した者を密航し
たという確証をあげて韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、こ
ちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、不法入国であろうが何であろうが、
返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、それをみな国費
で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇
切丁寧にしなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。これを大ま
かに考えますと、一体日本のためにやらなければならないのか、日本国民の血税の犠
牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないかというよ
うなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。




13+1 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/02(月) 16:44:47.57 ID:XJlki2JM (13/15)
朝鮮人による日本引き揚げ民間人強姦大虐殺
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1385462344/
正論 2005年 11月号

引揚民間人を襲った 朝 鮮 保 安 隊 の略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
 今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
 ついで 朝 鮮 人 の 保 安 隊 に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
 虐殺されている光景であった。
         (中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
 ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を 朝 鮮 人 が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
 城津での惨状は言語に絶した。(中略) 朝 鮮 人 の 男女が数十人の団体でおしかけ、
 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
     博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた


47 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/28(土) 17:12:14.75 ID:qeg8Pjkj (1/3)
>>12
>一体日本のためにやらなければならないのか、日本国民の血税の犠
牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないかというよ
うなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。

現在までに続く構造的問題。

>>13
許せん。
血が沸き立つ。



16 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/03(火) 21:44:14.04 ID:3weXRImf
【朝鮮部落】 「部落解放同盟」 とは、朝鮮人避難民がそのまま定住した部落、略称は解放同盟 「同和」 である★
 
福岡・奈良・京都・兵庫・大阪を中心に全国に「朝鮮部落」が存在する。彼らが「部落」と呼
ぶ地域が全国に存在する。戦後に密入国してきた朝鮮人のバラック小屋が建ち「朝鮮部
落」化したのは戦後すぐであった。戦後、大量の韓国や北朝鮮人が日本に密入国した朝鮮
人集団が私有地に勝手に入り込み、繁華街の真ん中にも入り込み、あっちこっちでバラック
小屋を建て住み着いた。戦後は婦女子や老人しかいないことをいいことに日本人住民を追い
出しては家を奪い取り住み着いた地域だ。「不法占拠」している朝鮮人達は、「朝鮮部落」が
差別されていると言い出し、「部落解放同盟」を全国で「同和」として組織。そして「人権差別」
をネタにして脅し始めた。

市役所は、不法占拠している無法地帯「朝鮮部落」のバラック小屋を立ち退かせるべく、朝鮮
人の収容先として無償タダで住める市営団地や公共施設を整備提供した。これに味をしめて、
今度は「朝鮮部落」同和の公共整備費と称して多額の金銭の要求、さらに生活保護の要求と
かれらは利権を手に入れた。全国の市営住宅にはこのような朝鮮人が集団で住む、このような
特殊な「朝鮮部落」市営住宅が全国に存在する。


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22+1 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2015/11/06(金) 17:14:31.31 ID:ibQMbygb
かつて、在日朝鮮人活動家たちによる<日本女性レイプ事件>が多発した時代があった。
1960~1970年代、反日政治運動の陰で起きていた『闇のレイプ事件』である。
『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の談義が掲載されていた。

崔「一時流行ったんだな。日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
梁「男の風上にもおけんなあ」
崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が少なくなかったのである。

そして、彼女たちは「反日・反体制意識」を持っていたがゆえに、
警察に通報することもなく泣き寝入りした。

当時、団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、
実態は在日朝鮮人活動家による日本女性の強姦であった。

「我々は人権を重んじる」
と自ら主張していた在日朝鮮人たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性活動家たちが在日朝鮮人の男性に対して、
なぜ警戒心を無くしてしまったのか。

昔はそういう時代であったのである。