454 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/16(金) 02:09:12.86 ID:nGpzpAYI0 [PC]
176.名無しさん@ほしゅそく
※34
神道にも入り込んでる。しかも、かなり格の高いところに。
たとえば、吉備津神社・吉備津彦神社のホームページを隅々まで見てほしい。
昔から鬼瓦のデザインに鬼を避けて桃を使うような神社なのに、
朝鮮半島出身と称する鬼(GHQ引き上げ後の創作)を、よりによって鬼門に祀ってる。
この鬼が祭りなどで反日本政府・反天皇の象徴として担ぎ上げられてる。
また、藩の役人が残した歴史的価値の高い古い資料を放火などで消失させ、
新たに捏造された文献と称するなにかが、
3年位前から県立図書館で唯一紹介されている資料になっている。
ちなみに、この資料()と作者はこんな設定。
・制作年は江戸時代
・作者は神社の神官(?神社で神官はないだろう)
・作者名が、なぜか30年前に新しくできた過去に使われたことのない市町村名と同じ
・作者は出自がはっきりしないのに、神道の戒名にあたる霊璽が天皇家との関わりを暗示させる「朝臣」
※お殿様でもせいぜい院殿大居士。朝臣はそれより格が高い。
この設定で出自がわからないということはありえない。一門が末端まで把握してる。
おかしなところを挙げるときりがない。
気が付いてないだけで、ほかにもあると思う。
宇佐神社も変だよ、という書き込みを見たことがある。
確かにホームページのトップに「日本の神様は大陸からやってきた」的な一文があって驚く。
2014年05月16日 01:07
499+3 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/16(金) 14:23:21.00 ID:ZZRppWOk0 (2/2) [PC]
>>454
275 名前:名無しさん@おーぷん :2014/05/16(金)14:15:20 ID:bGTznv4V1
>>239
調べてみると、
「鬼」って結局何なの?縄文人?漂流したコーカソイド?アイヌ?蝦夷?全く架空の存在?: 哲学ニュースnwk
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4613989.html#comments
のコメント欄
141~192
ID:xGoMMYhc0
ID:55SsdQuA0
ID:5DsF4mhp0
↑に、
・「桃太郎の鬼=温羅」伝説の捏造
・吉備津神社・吉備津彦神社の乗っ取り?
・神社の縁起の、金錫亨「分国論」に沿った書き換え
の経緯が詳細に書かれてあった。
「176.名無しさん@ほしゅそく」と同じ人かな。
___
141. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:17
ID:xGoMMYhc0
※18、20、22、25、32、52、84、86
桃太郎伝説は、わけあって昭和初期に創作されたんだけどね。
だから、桃太郎伝説に限っては、「鬼」の設定がはっきりしているんですよ。
知らない人が多いのは、地方自治体・メディア・商工会・教育委員会などが意図的に隠蔽してきたから。
桃太郎さんのキャラクターデザインってインパクトありますよね。ところが、この桃太郎さんテンプレート(桃のマークのはちまき・犬猿雉のお供・離れ小島に遠征)、実は、あれだけ多岐にわたるテーマで描かれまくった浮世絵には存在しない。
なのに突然、黎明期のアニメーションや同時代の絵本の題材として採用されている。
桃太郎伝説が、岡山に限らず形を変えて日本全国に存在するのは、神社などのネットワークで広められたからです。
どこが先だの起源だの関係なく、岡山以外の地域でも、ほぼ同時に発生したと思われます。
143. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:23
ID:xGoMMYhc0
岡山の桃太郎伝説の鬼(温羅)の設定は、特亜+αの圧力によって誕生した戦後の捏造です。
だから、メディアは桃太郎の印象を悪くするような工作をしつこく仕掛けています。たとえばこんなの。
●「しあわせ」を考えさせる日本人のイラストを見た台湾人の反応
で検索してみてください。
※日本新聞協会広告委員会が実施した「新聞広告クリエーティブコンテスト」の作品が
台湾で紹介されたという記事です。
このまとめサイトや記事そのものに問題はありません。
問題なのは、最優秀賞『めでたし、めでたし?』
作品のキャッチコピーが
「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつにkrされました。」
これを、「新しい視点で面白いじゃないか?」と思う方もいるでしょうね。
ここでちょっと、岡山の桃太郎伝説の変遷をご覧ください。
144. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:28
ID:xGoMMYhc0
ごく一部、しかも岡山の例ばかりで申し訳ないのですが、こんなタイミングで事件が発生しています。
1930年 全国で最初の国立療養所長嶋愛生園が設立される。
※岡山県の瀬戸内海の島にあるハンセン病療養施設。
吉備津神社(旧官幣中社) 岡山市吉備津931、火災で焼失。
1931年 法律第11号「癩予防二関スル件」が改正され、 癩予防法が制定される。
※療養所が設置され、患者の収容開始。
※施設の実態についてはこちら
→「どうしてハンセン病の患者には在日が目立つのか?」
で検索。
このあたりで『吉備津彦命の賊退治伝説』から『岡山の桃太郎伝説』が発生しました。
岡山の桃太郎さんのモデルは、古代日本の皇族・吉備津彦命です。
岡山以外の桃太郎さんも、ルーツは皇族、という設定になってませんか?
『吉備津彦命の賊退治伝説』は、吉備津彦命が備中(の平野)で周辺一帯の賊を平定したという明快なお話です。
ここまでの時系列だけでも、『岡山の桃太郎伝説』で桃太郎が離れ小島に遠征したという設定に変化した理由が、なんとなくわかってもらえるかと。
鬼の設定については、朝鮮の民間療法など調べてみてください。鬼退治の武者の名に、一見弱そうな桃を採用した理由も、古事記に登場するヨモツシコメのお話から連想できると思います。
桃太郎の「桃」が表しているのは地域の特産ではなく、穢れ(ヨモツシコメ=鬼=特亜からの犯罪目的の密入国者)を祓うためのツール。
145. 名も無き哲学者 2014年01月29日 01:36
ID:xGoMMYhc0
有識者()の主張するところの鬼=白人たちの所業も大概で、後に一緒くたになった可能性はありますが、発生当初の『桃太郎伝説』は鬼畜米英類とは異なる系統の鬼(特亜からの犯罪目的の密入国者)に対する注意喚起を寓話化したものです。
岡山の桃太郎伝説の鬼は※3が近いかも。彼らは祖国を捨て、祖国も受け入れを拒否した棄民ですから。
1937年(昭和12)7月7日 チャイナ事変
1941年12月8日 日本、英米に宣戦布告
1945年 8月 終戦
1945年(昭和20)GHQが国家神道を廃止する目的で、神道指令。
1948年 kan国の小鹿島ハンセン病療養所約六千名の癩病患者が日本に密入国。
※兵庫縣の尼崎市で、犯罪者集団を形成。
1948年 6月 第002回国会本会議 榊原亨の質問。
※挑戦人患者が日本に向け多数密航、兵庫縣の尼崎市で犯罪組織形成と報告。
1948年11月 チャイナで「中国抗戦史講話」(光華書店発行)が出版される。
1950年 1月 栗生楽泉園で起きた患者間のsatu人事件。加害者は挑戦人。
1950年 2月 七回国会衆議院厚生委員会(日本で強制隔離を継続させた論理)
>「癩刑務所」の必要を示唆するとともに、
>挑戦半島から日本に密入国するハンセン病患者が多いことを強調、
>「近来療養所の八千三百人の日本人は、おかげさまでおちついてはおりまするが、
> 人を殺すことを何とも考えないような挑戦の癩患者を引受けなければならぬという
>危険千万な状態にありまして、 患者の安寧秩序が乱され、
>また職員も毎日戦々兢々としてこれらの対策に悩んでおるような状態でございます」
146. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:41
ID:xGoMMYhc0
1950年 6月 挑戦戦争開戦
1952年 サンフランシスコ講和条約。GHQ活動停止。
李承晩ライン
1953年 新らい予防法を制定。強制隔離政策は継続。
1962年 家永教科書裁判
1963年 金錫亨が「分国論」発表。
※加耶人が広島・岡山に、新羅が東北に分国を建てたというトンデモ論。
1965年 『日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約』の調印と国会承認の執行。
1970-1980年代 北朝鮮による日本人拉致事件
よど号ハイジャック事件
言論出版妨害事件
※新宗教団体・創価学会と同団体を支持母体とする政党・公明党による言論弾圧。
考古学、歴史学の分野では、米の伝来ルート朝鮮半島経由説が有力。
※農学、植物学、生態学の分野では支那南部直接伝来説が定説。
1972年9月29日「日中共同声明」により日中国交正常化。
1973-1974年 新石器時代の河姆渡遺跡(中華人民共和国浙江省)、発見。
1978年 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印。
河姆渡遺跡(中華人民共和国浙江省)、発掘作業。
※世界でも最古(BC5000年頃-BC4500年頃)の稲栽培の例。
鬼ノ城学術調査団調査。
147. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:44
ID:xGoMMYhc0
1978年以降? 『岡山の桃太郎伝説』から『吉備津彦命の温羅退治伝説』が発生。
※温羅が誕生。
※この時点の温羅の設定は「腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪」
※温羅の「人食い」設定が弱められる。
※桃太郎のお供、犬・猿・雉を伝説からリストラ。
賊退治に協力した武将が祀られている「鯉喰神社」の乗っ取りを画策。
※温羅が逃亡の際に鯉に変身したという話を創作。
※吉備津彦命が温羅を追って鵜に変身したという話を創作。
「矢喰天神社」の乗っ取りを画策。
※吉備津彦命の矢を落とすために温羅が投げた岩の落ちた場所という話を創作。
※「温羅」のことなんて県民はまったく知らない。
1979年 「日中文化交流協定」に調印し、政府借款の供与を約束。
1980年 「吉備津彦神社(旧国幣小社)岡山市一宮1043」、火災。
※資料の焼失。
1981年 岡山県神社庁が『岡山県神社誌』昭和56年刊行。
1981年以前 「矢喰天神社」(旧村社)岡山市高塚108、乗っ取り完了。
※神道指令のどさくさにまぎれて縁起が書き換えられる。
「艮御崎神社」(旧村社)岡山市辛川160、乗っ取り完了。
※神道指令にまぎれて縁起が書き換えられた上、主祭神:温羅和魂に変更。
※○御崎系の神社のルーツは、島根県出雲市の日御碕神社で
主祭神となるのは、古事記の中盤に登場する神様(スサノヲなど)限定。
※外国人アピールの激しい、しかも鬼が祀られるような神社ではない。
148. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:48
ID:xGoMMYhc0
できれば、『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行(デジタル版、強烈に重いので注意)をご覧ください。
109(PDFでは60)ページめにあるこの神社だけ、異様な記述になっています。
県下の神社を網羅しているので、各神社の解説はかいつまんだものになっていますが、だからこそ重要な部分がわかりやすい、全体の傾向が見えてくる本です。
神道のルールがいかにゆるいものであっても、縁起の大幅な変更などで、伝統をないがしろにすることはよくないと思うんですけどね。
しかも、科学的な研究の結果をまるっと無視して、特亜の言いなりで変更してますし。
やりすぎな設定変更が続きます。
「鯉喰神社」(旧村社) 倉敷市矢部109、乗っ取り失敗?
※縁起の書き換えなし。
岡山県神社庁への潜入・懐柔を完了。
※「艮御崎神社」「矢喰天神社」の縁起変更などを黙認。
1982年 第一次教科書問題
※マスコミのデマによる「教科書問題」煽り。
1983年 中曽根首相が訪韓、教科書問題に決着を着けると共に、「日韓新時代」宣言。
1985年 中国共産党、靖国参拝批判を開始。
「侵華日軍南京大屠satu遇難同胞紀念館」通称「南京大虐satu記念館」オープン。
1986年 藤尾正行文相の発言に韓国側から抗議。中曽根首相は藤尾大臣を罷免。
※「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」
第二次教科書問題
※「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書『新編日本史(原書房)』に中国が不満。
1987年 大韓航空機爆破事件
1988‐1989年 ふるさと創生事業(各市区町村に地域振興用資金1億円を交付した政策)
都道府県検定ブームゴリ押し。
149. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:53
ID:xGoMMYhc0
1989年 天安門事件
在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書
※日本社会党、公明党、社会民主連合らの議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出。
青森県八戸市「風張遺跡」から約2800年前(縄文時代の後期から晩期)の米を発見。
1990年頃 岡山県の小・中学校の授業では、まだ「温羅」を扱っていない。
※校内の図書室に温羅関連書籍なし。
※県北の巨人伝説「でいだらぼっち」のほうがメジャー。
※道徳の教科書に「地域の人ではないハンセン病患者さんを見かけたら大人に知らせる」話。
1992年 「よさこい」勢力拡大開始。「YOSAKOIソーラン祭り」誕生。
※画像検索すると、「よさこい」が大きく変化しているのがわかります。異様。
「阿宗神社」(旧村社) 総社市奥坂98、乗っ取り完了。
※「阿曽の火祭り」検索。
※温羅の妻、阿曽女が誕生?
※この神社名、100年前は別の名称。しかも、阿宗神社は近畿地方がルーツ。
「吉備津神社」(旧官幣中社) 岡山市吉備津931、乗っ取り完了?
「吉備津彦神社」(旧国幣小社)岡山市一宮1043、乗っ取り完了?
1993年以前 『吉備津彦命の温羅退治伝説』の名称を『温羅伝説』に変更。
※タイトル変更により岡山の桃太郎伝説の主役は鬼の温羅に。
岡山で発生した聾唖者によるsatu人事件が人権問題扱いで、無罪かそれに近い判決。
※年代はずれるかも。扱いが異常だったので記憶に残ってます。
※これが聾唖者ではなく日本語が理解できない外国人だったら?
1993‐1994年 非自民・非共産連立政権、成立。
150. 名も無き哲学者
2014年01月29日 01:58
ID:xGoMMYhc0
1993年 皇太子成婚の儀。
『おかやま桃太郎まつり』に鬼を祀る『第一回桃源鬼まつり うらじゃ』が参加?
※『桃源鬼まつり うらじゃ』は「よさこい」系のまつり。
※戦後に創作された『温羅伝説』の設定にしたがって、
吉備津彦命(古代日本の皇族、岡山の桃太郎さん設定)を貶め、鬼を祀る催し。
※「よさこい」からの遠征やボランティア・留学生を含め、
反政府教育された8000人の自称「踊り連」が、
個人を特定できないような化粧・扮装をして集団行動を披露する祭りです。
※各「踊り連」の名称は、まるで暴走族。
※韓国のあのデモにそっくりな扮装も目に付きます。
※県民の記憶にはない。今のところ、「桃源鬼まつり」の名称は定着せず。
1993年 岡山駅前の一等地、国鉄操車場跡地の運用第一案(チボリ公園)廃案。
1994‐1998年 自社さ連立政権、成立。
1994年 羽田内閣、成立。
※法相の永野茂門が就任直後、「南京大虐satuはでっち上げ」発言で就任11日に更迭。
社会党委員長の村山富市が内閣総理大臣に就任。
チマチョゴリ切り裂き事件()。
総社市教育委員会による鬼ノ城発掘調査。
※角楼や城門など、鬼ノ城の外郭(=外側)の壮大な姿が明らかに。
ゆるキャラブーム開始?
1995年頃 県や市の機関、地方の放送局で男女の鬼のキャラクターが採用されるようになる。
「寅さん」ロケ誘致(岡山県津山市)で数千万単位の使途不明金。
1995年 阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件
151. 名も無き哲学者
2014年01月29日 02:10
ID:xGoMMYhc0
続きはまた今度にします。
168. 名も無き哲学者
2014年02月01日 22:02
ID:55SsdQuA0
工作員わいてますね。
※150続き
1995-2000年頃 ※温羅の設定に「朝鮮出身」追加。
※吉備津彦命が温羅の首を犬に喰わしたという残虐シーンを追加。
※『鳴釜神事』が「吉備津彦命の神意を伺う」から「温羅で判断」に印象操作。
※吉備津神社「温羅の」鳴釜神事ゴリ押しキャンペーン。
※温羅の妻とされる阿曽女の動作は、挑戦のシャーマンに似ています。
1999年 岡山県「朝寝鼻遺跡」から6400年前の稲のプラントオパ-ルを発見。
※縄文人がすでに農耕技術を持っていたことが確実となる。
岡山県古代吉備文化財センターが鬼ノ城内の確認調査。
※鬼ノ城の礎石建物群の様相や鍛冶関連の遺構の存在が明らかに。
山陽新聞掲載の論説で「みさきさま」sageの記事。
※「みさきさま」を自satu者の怨霊であるかのような解説。
※島根県出雲市の日御碕神社(旧国幣小社)は、
出雲大社の「祖神さま(通称、みさきさん)」として崇敬を集める。
※こういう神社に、朝廷に逆らった外国人設定で祀られるわけがない。
※日御碕神社ルーツの御前・御崎神社は吉備に複数存在。
自由民主党、自由党、および公明党との自自公連立政権。
2000年 自由民主党、公明党、および保守党による自公保政権。
169. 名も無き哲学者
2014年02月01日 22:06
ID:55SsdQuA0
2000年 考古学の分野で、米の伝来ルートはチャイナ南部から直接伝来した説が有力になる。
※伊勢神宮伝承「米は斉の御田から天照大神が持ってきた」(斉は現中国山東省)
※ただし、山東省付近には稲作の遺構が発見されてない。
2000年以降 『新説温羅伝説』が発生。
※温羅の設定に「新羅の王子」追加。
※温羅の設定で「新羅の王子」を「百済の王子様」に変更。
※温羅の設定に「挑戦の製鉄法を吉備に伝えた(笑)」を追加。
※温羅の設定に「挑戦の築城技術を吉備に伝えた(笑)」を追加。
2001年頃 日韓サッカー大会にあわせて大韓航空の岡山―ソウル線を就航。
岡山駅前東口の桃太郎像、壊される。
米同時多発テロ発生
※福田康夫(内閣官房長官)「拉致はテロではない」、拉致事件へ消極答弁。
2001年 新しい歴史教科書をつくる会による『新しい歴史教科書(扶桑社)』教科用図書検定に合格。
※大江健三郎等17名によるクレーム。
2002年 文部科学省通知「教科書制度の改善について」
2002年 日韓サッカー
※温羅の設定に「鬼神」追加。
北挑戦工作船による日本海侵犯と銃撃戦が発生。
北挑戦が日朝首脳会談で日本人の拉致を認める。
2003年- 彦崎貝塚(岡山県灘崎町)、発掘開始。
※瀬戸内海に面した旧児島湾の南岸にある、縄文時代前期から晩期の貝塚。
2004年6月27日 大学入学センター試験における歴史認識問題
2004年8月 日本国・中華人民共和国・大韓民国の3国の一部の識者共同で歴史書を制作することを発表。
170. 名も無き哲学者
2014年02月01日 22:10
ID:55SsdQuA0
2005年5月7日 町村信孝外務大臣が李肇星外相と会談。
2005年7月9日 日本で採用された歴史教科書の一部(近代歴史)を中国語・挑戦語版を外務省HPでの公開決定。
2005年 彦崎貝塚(岡山)で縄文時代前期(約6000年前)の地層に稲作の痕跡。
※イネ(ジャポニカ米)のプラントオパールを大量に発見。
※何らか理由で持ち込まれた規模ではなく、栽培されていたレベル。
大連日本人学校用教科書没収事件
北挑戦非難決議案、国連総会で採択。
2006年 1999年の鬼ノ城確認調査で得られた成果をもとに、7か年計画で調査。
※ネット工作開始。
2006年頃以降 『新作温羅伝説』の創作から『真温羅伝説』設定定着活動が活発化。『新作温羅伝説』検索。魚拓推奨。
※あらすじ「温羅は、吉備の国に朝鮮の先端技術(笑)を伝え、
平和的に治めた百済の皇子。これに嫉妬した朝廷が
吉備津彦命を差し向け、豊かな吉備を横取りした」
※この時点では、確かに創作と作者が明言。以降、なしくずしに事実化。
171. 名も無き哲学者
2014年02月01日 22:23
ID:55SsdQuA0
吉備津神社ホームページ公開。
※吉備津神社の元の「縁起」に悪意ある改変。
※吉備津神社「縁起」に、金錫亨「分国論」寄りの意味不明な解説を追加。
※吉備津神社本殿の立て札に改変(温羅神?追加)が行われる。
※吉備津神社本殿鬼門に温羅が祀られるようになりました。
※温羅の設定に「朝鮮の造船技術を吉備に伝えた(笑)」を追加。
※「吉備文化を平和に治めた温羅を嫉んだ朝廷が国を横取りした」設定が史実化。
※温羅の設定に「地域住民に慕われていた」を追加。
※吉備津彦命が精神的に弱い卑怯者、という印象操作が行われるようになる。
※この解説については、投稿回数が足りれば、後で補足します。
※留学生・県外の学生に対し『真温羅伝説』周知活動開始。youtubeで「うらじゃ」検索。
2007年 「新版 岡山検定要点整理」(岡山商工会議所・監修)発行。
※『新作温羅伝説』を市や県の主導で史実であるかのように吹聴。
2008年 倉敷チボリ公園閉園。
岡山県、財政危機宣言。
2009年 「最新岡山検定公式参考書コンパクト版」(岡山商工会議所・監修)発行。
※岡山検定にさらに新たな記述(捏造)を追加。
172. 名も無き哲学者
2014年02月01日 22:56
ID:55SsdQuA0
2010年- ※『真温羅伝説』周知のための集中的なネット工作の痕跡。
吉備津彦神社、ホームページのリンク先にトンデモファンタジーをこっそり掲載。
※目立たない温羅リンクより
>総社市の新山に’鬼の城’を築いて吉備津彦命と戦った。
>一方では製鉄をはじめ様々な技術文化を伝えた功労者としての面もうかがえる。
>事実、吉備や出雲では古来、中国山脈の砂鉄を基とした製鉄が盛んであり
>’備前’日本刀にもみられるこの地の製鉄文化の発展が物語る。
※温羅をヒーロー扱い。(笑)
※吉備津彦神社を中心に、瀬戸内海総合研究会、山陽新聞社、
岡山県立図書館の協力の下、捏造資料をこっそり公開。
・「温羅(うら)の伝承についての資料が知りたい」で検索
・問題の資料名は『備中国大吉備津宮略記』
・作者は江戸時代中期以降の人である賀陽為徳。別サイトでは賀陽朝臣為徳(笑)
・『備中国大吉備津宮略記』でも検索してみてください。
・別のサイトでは賀陽朝臣為徳、となっているのをみつけて大爆笑。
※素性のよくわからない人に「朝臣」は付きません。
※「賀陽」は戦後に誕生した新しい地名です。
※2013年の鬼ノ城研究発表で、『吉備津彦命の賊退治伝説』と『温羅伝説()』
両者に800年の開きがあることが科学的に証明されました。
上記レスで製鉄うんぬん言ってる工作さん、おつかれさま。
日本鬼子 (キャラクター)発案。(温羅とは無関係ですが興味深いタイミング)
173. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:00
ID:55SsdQuA0
2011年 2002年文部科学省通知「教科書制度の改善について」に対し、マスコミ総力のネガティブ・キャンペーン。
八重山教科書問題
NHK岡山開局80周年「温羅伝説」を元にした物語を浅野温子が一人芝居で演じた番組を放送。
※温羅の弟・王仁(おに)、阿曽女の弟・阿曽男が誕生。
※吉備津神社とその周辺の神社に温羅・弟の王仁・妻の阿曽女が祀られていた設定を創作。
※温羅の設定に「昔から地域住民によって祀られていた」を追加。
※『真温羅伝説』の新形態、『泣いた赤鬼』バージョン創作。
『温羅伝説』を検索して徹底的にチェックすれば見つかります。
※温羅の設定「百済の王子様」を「百済の皇子」に変更。
※吉備津彦命が温羅の首を刎ねて串刺しにして晒したという残虐シーンを追加。
白山神社(旧村社) 岡山市首部236、乗っ取り画策中。
※温羅の設定に「挑戦から吉備に稲作を伝えた(笑)」が追加されました。
※温羅=百済の皇子=大陸から稲作を伝えた=吉備が米どころ設定を追加。
※温羅の設定に「米の神様」追加。
※白山神社のルーツは白山比咩神社のため、上記はありえない設定。
>霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。
2012年 昔、乗っ取りに失敗した鯉喰神社をsage工作。
※吉備津彦側に寝返った温羅の家来設定の配祀 狹田安是彦・千田宇根彦が誕生。
※どんな事情にせよ、裏切り者は神格にふさわしくありません。
※田んぼの「あぜ」に「うね」w 名前がへんですよ?
※そもそも捏造。
174. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:03
ID:55SsdQuA0
2013年 岡山・南方遺跡で中国・戦国時代の銅鏃出土。
※『温羅伝説』にチャイナ参戦の気配。中ボス登場?
「鬼ノ城築城は壬申の乱後 岡山で報告会、通説覆す見解」(2013/3/2 23:23)
※『吉備津彦命の賊退治伝説』と『温羅伝説』を史実と仮定すると(ありえませんが)、
両者に800年の開きがあることを科学的に証明。
チャイナの歴史作家()が珍説発表。
※「韓国はかつて日本に“植民地”を有していた、
百済の王子が岡山県「鬼ノ城」一帯を支配」
2013年12月8日 BSジャパン「神社百景」で吉備津神社・吉備津彦神社の特集。
※「吉備津彦命に敗北した温羅が命乞い、許されて吉備国運営に協力した」という新作設定を発表。
数年のズレはあるかもしれませんが、おおむねこんな感じ。
ネット上に記録の残っている工作が大量に存在するので、興味のある方はぜひ調べてみてください。さらに新しい発見があると思います。
また、これらのタイミングをみると、岡山だけの話でもなさそうです。
地元の神社やお寺などが、干渉を受けておかしなことになっていないか、できれば戦前の資料などを探し出してチェックすることをおすすめします。
175. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:44
ID:55SsdQuA0
ここからは、岡山の桃太郎・吉備津彦命が主祭神として祀られている吉備津神社の縁起書き換えの件について解説します。
そこそこ有名な神社が、そんなことになっていると思う人はまずいませんよね。
ホームページまでチェックする人はもっと少ないでしょう。
ただ眺めただけでは気づかない人も多いでしょう。
異変に気づいても、タブーだから、と口をつぐむ人も多い。
ここで参考文献として多用している『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行(岡山神社庁のホームページからご覧に慣れます。保存推奨)には、はしょった情報しか載っていません。ですが、だからこそ、その神社において重要度の高い事柄が集約されています。
たかだか30年前の記述が、現在の各神社の解説と大きく食い違うようでは異常です。
・・・と、指摘してから3ヶ月ほど経過しましたが、『岡山県神社誌』リンクの下に「現在の状況とは異なる場合がございます」の一文が追加されていて、笑ってしまいました。この書き込みをどこかで見て、各所へお問い合わせしてくださった方、ありがとうございます。
いくらか興味を持ってご覧いただければわかってくると思うのですが、神社は一社で成立するものではなく、必ずどこか別の有力な神社と何らかの親子関係を持っています。昔の記録と照合した結果、周辺の神社と明らかに違う、親神社とも明らかに系統の異なる主祭神を見かけたら警戒(調査)してください。
大量の資料を見ているうちに足元がぐらついてきたら、『神社本庁憲章』で神社の基本理念を見直してみましょう。『岡山県神社誌』のはじめのほうに載っています。たった2ページの記述ですので、意気込まなくても大丈夫ですよ。
176. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:45
ID:55SsdQuA0
さて、一見わかりにくいかもしれませんが、戦直後と現在の吉備津神社(と関連神社)の「縁起」を比較すると以下のようになります。
※同じ名称、似たような名称の神社がたくさんあります。社格と住所で見分けてください。ここで取り上げているのは、岡山市吉備津にある有力神社の「吉備津神社」です。ややこしいなあ。
●戦後、GHQ引き上げ直後にまとめられた、吉備津神社の「縁起」
「吉備津神社(旧官幣中社) 岡山市吉備津931」
>主祭神 大吉備津彦大神
>由緒沿革 社伝によると、仁徳天皇(313-399年)が吉備国に行幸の時、
>吉備津彦命の霊夢によって、五社の神殿を創建せられたという。
『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行
(デジタル版、強烈に重いので注意)より315(PDFでは163)ページめ
●岡山県神社庁による現在の吉備津神社の「縁起」
>当社の御祭神は第7代孝霊天皇の皇子の「大吉備津彦命」であり、
>第10代崇神天皇の御代に吉備の国に下られ、温羅(うら)と言う悪者を平らげて平和と秩序を築き、
>この地に宮を営まれて吉備の国の人々のために殖産を教え、仁政を行ない、長寿を以てこの地に薨去せられた。
>社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸した時、御創建になった。
>後に延喜の式が定まると名神大社に列し、やがて一品の位になったので一品吉備津宮、
>また三備(備前、備中、備後)の一の宮と称せられ、
>昔から産業の守護神として、また長寿の守り神として全国の人々から深く信仰されている。
177. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:47
ID:55SsdQuA0
●現在の吉備津神社の「縁起」
>一説によりますと、第十代崇神天皇の御代、
>災害もなくなり天下もようやく治まってまいりましたが、
>都から遠く離れた地方には未だ朝廷に従わない者が多数おりました。
>人々を苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を苦戦の末退治することができ、
>この地方に平和と秩序をもたらしたと云われております。
>当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、
>文献もなく確かなことはわかりませんが、
>ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる
>加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)という人が祖神として
>吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。
>また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云われる
>稲速別命(イナハヤワケ)・御友別命・鴨別命(カモノワケ)が始めて社殿を造りお祀りしたとも云われます。
>さらに一説に仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、
>吉備津彦の功績を聞き称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わっております。
吉備津神社ホームページ
何度か読み返すと、捏造の過程が見えてくると思います。
祀られている神様がつよくて人気のある神社の縁起なんて、本来は明快なものなんですよ。文章の長短に関わらず。
178. 名も無き哲学者
2014年02月01日 23:55
ID:55SsdQuA0
一方、この吉備津神社ホームページの「縁起」説明はむごい。
>一説によりますと、
>文献もなく確かなことはわかりませんが、
>ただ言い伝えによると、一説に
>また一説に
>さらに一説に
ひとつの神社縁起の解説文に、これだけ弁解めいた文章が差し込まれている、というのはちょっと異常なことです。戦後の記録のある縁起よりも、文献もなく不確定な説が優先され、まず先に紹介されているというのもおかしい。
氏子や県民、神社マニアにはまだ記憶のしっかりしている部分があるため、指摘・追及されたときの逃げ道として、ぼやけた表現をしてるんです。セコイ。
実際、2013年12月8日 BSジャパン「神社百景」で吉備津神社・吉備津彦神社が特集されたとき、神主が口にした縁起は、『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行のものでした。
縁起の書き換えが行われたということはわかるけど、なにがよくないのかわからない、という人のためにちょっと解説。
この縁起、どうおかしいのかわからなくて当然ですよ。そんな風に作られた文章ですから。
あるブログのなかに、こんな記述をみつけました。2010-12-02 16:39:39の投稿です。
>吉備津神社の社伝によりますと、吉備津神社の社殿を造営したのは「加夜臣奈留美命」と言う人で、
>この人が、吉備地方平定の為に大和から派遣させて来ます。
>その時、命は、吉備の中山の麓に「茅葺宮」を造り、そこを拠点にして吉備地方を大和の勢力下に置きます。
>その跡に、吉備津彦命を祭る社殿を造ります。これが吉備津神社の始まりだとしています。
>この「加夜臣」というのも、朝鮮半島で新羅等によって滅ぼされた金官加耶からの帰化人と何らかの関係があると思われます。
179. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:00
ID:5DsF4mhp0
>この事からも、吉備と朝鮮半島との関係の深さが伺われます。
>この「かやなるみ命」を祭っている神殿は、大和の明日香村にあります、
>ぢうして大和政権の一翼を担ったと思われる大和の神が吉備に来て、
>天皇家の皇子の社を作らねばならなかったのかは不明ですが、
>朝鮮からの帰化人を語る時にはどうしても見逃すことが出来ない話だと思われます。
>「加夜臣奈留美命」が吉備津神社を造営して以降、その神官が「賀陽氏」を名乗ったのだそうです。
>これも、又、吉備津神社と吉備の国と朝鮮半島からの帰化人と、どのように結びついているのかは不明ですが。
…神官?
そもそも、こんないわれはまったくないのですが。
「文献もなく確かなことはわからない、ただ言い伝えによる一説」が、なぜかずいぶん具体的になってます。へんですよね。
以下が工作さんたちの方針のようです。
>1963年、金錫亨は「分国論」を発表した。
>この主張は、三韓の住民が日本列島に移住し、各出身地毎に分国を建てたというもので、
>具体的には加耶人が広島・岡山に、新羅が東北にという主張である。
>任那日本府の問題はそれぞれの分国がこれを争ったという解釈である。
>この説に対しては、『日本書紀』を否定しておきながら、
>出雲神話、天孫降臨神話、神武天皇東征伝承などを歴史的事実と認め、
>そこから日本本土内の「分国」存在の結論を導き出しているのは
>自己矛盾の何物でもない等の批判がなされ、全く支持されなかった。
Wikipedia(任那)より
180. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:03
ID:5DsF4mhp0
この「自己矛盾以外の何物でもない等の批判がなされた」金錫亨の方針を元に創られたのが、吉備津神社ホームページの縁起の解説のトップに据えられているのに「文献もなく確かなことはわからない言い伝え」という下記の文章です。
>当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、
>文献もなく確かなことはわかりませんが、
>ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる
>加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。
吉備津神社ホームページの縁起より
もう、むちゃくちゃです。
この縁起()の創作材料になったのは、吉備津彦命の逸話です。
>(吉備津彦命は)大和の黒田庵戸宮(盧戸宮)(やまとくろだいおどのみや、現在の奈良県磯城郡田原本町)に生まれ、
>岡山県岡山市に鎮座する備中国一宮、吉備津神社の社伝によると、
>その後、命は吉備の中山の麓に茅葺宮を造って住み、
>281歳で亡くなって中山の山頂(茶臼山)に葬られたとされている。
※Wikipedia(吉備津彦命)より
このWikipediaもかなり汚染されているんですが、ましな部分だけを引用しました。
181. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:05
ID:5DsF4mhp0
現在の吉備津神社縁起()の創作は、この逸話から、
・吉備津彦命の出身地、奈良県
・命は吉備の中山の麓に茅葺宮を造って住み
を抽出し、
①吉備津彦命の出身地、奈良県で祀られている、吉備津彦命よりもかなり古く「古事記」「日本書紀」にも
記述のないような実態のよくわからない神様、加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)を吉備津彦命から五代目の孫として採用。
気になって調べる閲覧者のやる気をくじく。
②茅葺宮を造って住んだのは吉備津彦命だが、茅葺(カヤ)の音で始まる加夜臣奈留美命が住んだ、にすりかえる。
もっともらしい主張で閲覧者をかく乱。
③さらに、「かや」という音つながりで古挑戦(新羅等によって滅ぼされた金官加耶)にこじつけ。
ただし明らかに捏造度が強すぎてバレバレなので、吉備津神社ホームページ上では不採用。
という、三段階の手が加えられています。
迷惑です。
参考までに、加夜奈留美命神社について。
「加夜(臣)奈留美命神社(旧村社)」奈良県高市郡明日香村栢森358
>江戸時代には葛神と称していたが、カヤノモリとカヤナルミが類似するため
>「大和志」が「延喜式」神名帳の「加夜奈留美命神社」にあて、以後式内社に治定されている。
>加夜奈留美命は、飛鳥の神奈備に坐して、皇孫の守護をした神で(「延喜式」出雲国造神賀詞)
>「五郡神社記」や「大神分身類社鈔」に高照姫命のこととする。
>「延喜式交替式」「類聚三代格」には「賀屋鳴比女」とも記し、天太玉・櫛玉・臼滝神とともに飛鳥神の裔神とみえる。
>「三代実録」貞観元年(859)正月二七日の条に大和国従五位下賀夜奈流美神に正四位下を授けたとあり、
>四裔神のなかでは最も神位が高い。
182. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:09
ID:5DsF4mhp0
神様や神社は人気商売ですから、こんな捏造が注目されることになったら大変なことになるでしょうね。昔の縁起はまだ覚えている方も多いですから。大事になる前に修正しておいてほしいものです。
二番目の「また一説に」縁起は意味不明。おそらくたいした意味はないので検証省略。
さて、三番目の「さらに一説に」こそが、元の縁起に最も近いのですが、奇妙な改変が行われてます。
>仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、
>吉備津彦の功績を聞き称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わっております。
吉備津神社ホームページの縁起より
元の縁起と比較してみてください。
>仁徳天皇が吉備国に行幸の時、吉備津彦命の霊夢によって、五社の神殿を創建せられたという
『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行
(デジタル版、強烈に重いので注意)より315(PDFでは163)ページめ
ところでこの元の縁起、鳴釜神事の起源に似すぎているとは思いませんか?
>夢枕に温羅の霊が現れて
※「(吉備津神社の)鳴釜神事解説」リンクより
ひとつの神社の中で、伝えられている別件の縁起が、
・「仁徳天皇がみた吉備津彦命の霊夢」 神社創建のもともとの由来
・「吉備津彦命がみた温羅の悪夢」 特殊神事の最後に記述されるような、重要度の低い鳴釜神事の由来
「ぐ・う・ぜ・ん」どちらも夢ってどーゆーことでしょう?
183. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:11
ID:5DsF4mhp0
…人ってねえ、意図した強調表現でもないかぎり、メールの文章でさえ繰り返しの表現は避ける傾向にあるんですよ?
そこで悪意ある中の人は、神社創建のもともとの由来から「吉備津彦命の霊夢」エピソードを抜いて、現在の鳴釜神事の由来「温羅の悪夢」に置き換えたました。
吉備津彦命の神聖性を弱めたい意図もあるんでしょうか。
さらに、武勇の神様を祀ってある神社で、元の縁起には無かったこんな恋愛エピソードをわざわざ加える意図ってなんでしょうね?
>仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、
吉備津神社ホームページの縁起より
鳴釜神事のもともとの由来の痕跡はホームページ上に残ってます。
参考までに、河越の戦いで北条氏康軍が上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏連合軍に勝利したのが1568年4月。だいたい戦国時代です。
>吉備津彦命に祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事です。
>多聞院日記にみられるのが文献的には一番古いとされる。
>永禄十一年(1568)五月十六日に
>「備中の吉備津宮に鳴釜あり、神楽料廿疋を納めて奏すれば釜が鳴り、
>志が叶うほど高く鳴るという、稀代のことで天下無比である」
>ということが記されて おり、少なくとも室町時代末期には都の人々にも聞こえるほど有名であった
「(吉備津神社の)鳴釜神事解説」より
この部分を読むかぎり、吉備津神社の鳴釜神事は「吉備津彦命に吉兆をうかがう神事」にしかみえません。ふしぎですね。
184. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:15
ID:5DsF4mhp0
さっと見ただけでは気付けないかもしれませんが、吉備津神社では「温羅」をずいぶん推しているのに、この文章中にはその名前がでてきませんよね。気配さえありません。・・・まあ、そういうことです。
ホームページ上では、この文章の前後に温羅のエピソードが付け足され、「温羅に吉兆を聞く」かのような印象操作が行われています。
そうそう、上記の解説には「阿曽女」の記述もありませんね。『温羅伝説』では重要なキーワードのはずなのに。
「阿曽女」の設定はこのようになっています。
>同神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域。
>住所では同市東阿曽および西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。
>伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神官の娘、
>即ち巫女とされる)を呼んで、神官と共に神事を執り行った。
>現在も神官と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ。
Wikipedia(鳴釜神事)より
では、『温羅伝説』の設定で「阿曽女」由来といわれる「阿宗神社」の、もともとの縁起をご覧ください。
「阿宗神社(旧村社) 総社市奥坂98」
>主祭神 応神天皇 神功皇后 玉依姫命 吉備武彦命
>由緒沿革 創建年月不詳。
>社伝によると、旧号を宮原社と称した。
>三代実録によると、貞観六年二月(西暦864年)従五位下、同十月従五位上の神階を授けられた。
>旧藩主木下家から、神輿二台、社領六畝八歩、社務所、御供所等の寄進があった。
>後に宮原社は奥坂の八幡社に合祀せられた大正十年(1921年)九月八幡神社の境内社宮原神社を合祀して、
>新に阿宗神社と称するに至った。
『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行より309(PDFでは160)ページめ
185. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:17
ID:5DsF4mhp0
総社市の「阿宗神社」は百年前までその名称さえ違うものでした。
『温羅伝説』によれば、吉備津彦命生存時に「阿曽女」を採用して鳴釜神事がはじめられているんですけど。
おかしいですねえ。およそ2000年の間どうしてたんでしょうね。
祀られている神様も「温羅」「阿曽女」とは無関係ですね。
というか、由緒沿革にもあるとおり、八幡系の神社ですから祀られているのは三韓征伐の関係者ですし。
神社名と主祭神からみると、こちらの神社と関係が深そうです。
「阿宗神社(旧県社 ) 兵庫県たつの市誉田町広山492」
>主祭神 応神天皇 神功皇后 玉依姫命 (配祀)息長日子王
>由緒沿革 伝えいふ欽明天皇の御代(509-571年頃)大伴狹手彦勅を奉じて
>宇佐八幡宮の分霊を当村立岡の岡ノ峯に勧請したるに初まり
>文治5年内山城主鹽津義綱当社を廣山村の今の地に遷座す
>之より先延喜式の制小社に列し嘉慶2年3月國司越後守顯則田地を寄進すと伝へ
>天文10年12月2日兵燹の為め社殿及び末社焼失し
>同18年地頭代官周東宗次鳥居を再興す元亀3年10月25日又社殿炎上し其後久しく再興を見るに至らず
>天正2年9月漸く再建し寛政5年本殿の屋根替を行ひ龍野城主生駒侯御供田三反を捧げ
>天保3年龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願をなし
>明治7年2月(明治4年4月とも)郷社に列し同14年6月縣社に昇格す。
配祀の息長日子王は神功皇后の父です。
ますます「阿曽女」の無関係さが際立ちます。
「阿宗神社」という名称から「阿曽女」を創作したのでしょうが、「阿宗神社」は、さらにルーツをたどれば宇佐八幡宮(大分県宇佐市)由来です。温羅や阿曽女の設定に対し、とことん対極にある系統の神社です。
186. 名も無き哲学者
2014年02月02日 00:35
ID:5DsF4mhp0
由緒だけでなく、主祭神の組み合わせからも神社のルーツは読み取れますよ。
>御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、
>571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になったといわれます。
>応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。
>725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。
>これが宇佐神宮の創建です。
宇佐八幡宮ホームページより
宇佐八幡宮ホームページも大陸文化の押し付けが鼻につきますが、そちらは地元の方にお任せして吉備津神社ホームページの解説に戻ります。
>釜鳴という神事は王朝以来宮中をはじめ諸社にもあったことが文献にもみられています。
>釜を焼き湯を沸かすにあたって時として音が鳴るという現象が起こると、
>そこに神秘や怪異を覚え、それを不吉な前兆とみなし祈祷や卜占を行ったらしい。
>そして陰陽道的解釈が加えられていったと考えられます。
「(吉備津神社の)鳴釜神事解説」より
この記述でも「温羅」は無関係ですね。
温羅が本当に昔から信仰されてきたというなら、もっと違ったものになっていたはずです。
また、ネットや出版物で散見される工作さんの書き込みに『雨月物語』のエピソードを引き合いに出す手法があります。
注意事項として挙げておきますが、『雨月物語』には「吉備津の鳴釜神事」の話は出てきても「温羅」は登場しません。ただ、怪異的なイメージに重なる部分があるため、間違えて認識しやすい、というトラップがあります。
187. 名も無き哲学者
2014年02月02日 01:05
ID:5DsF4mhp0
『雨月物語』の「吉備津の釜」
>吉備の井沢庄太夫という武士は、放蕩な日々を送っていた。
>両親は心配し、「良家の娘」を娶らせる事にし、吉備津宮神主香央家の娘・磯良と結納を交わす。
>婚礼の前に、釜祓によって吉凶を占ったが御釜は鳴らず、
>これは、凶兆であるのだが、すでに用意の整った後なので、そのまま、婚礼を執り行った。
>ところがその後、礒良を騙して金を得、庄太夫は遊女の袖と駆け落ち。
>恨みに思った礒良の生霊は、袖を呪い殺し、
>鬼女となって、庄太夫の前に現れ、隠れていた庄太夫を連れ去った。
ね?「温羅」は無関係なんです。吉備津の釜鳴神事はストーリーの要素になっていますが、それだけです。
吉備津宮神主香央家の娘・磯良が鬼女になったのは、嫁に行かせたきりの家族とダメな旦那のせいです。
『雨月物語』は高校の古文の教科書に採用されてましたよね。授業の合間に、雑学を装って生徒に嘘を吹き込むわけですか。
学校経由の知識って、いくらか事情はわかっていても信じてしまいますよね。
吉備津神社ホームページ上で「温羅」に関する記述をすべて削除しても、神社の解説は成立します。
鬼の「温羅」は、近年の創作です。
公平を期して、『岡山県神社誌』昭和56年岡山県神社庁刊行(デジタル版、強烈に重いので注意)内で「温羅」の記述のあった神社を書き出しておきます。二箇所しかありませんでした。
一つ目は、こちら。
188. 名も無き哲学者
2014年02月02日 01:07
ID:5DsF4mhp0
「矢喰天神社(旧村社)岡山市高塚108」325(PDFでは168)ページめ
>主祭神 吉備武彦命
>宮 司 石井清根
>由緒沿革 創建年代は不詳。矢喰宮ともいう。
>伝承によると、大吉備津彦命・吉備武彦命が温羅を討伐された時、温羅の防戦により苦戦がつづいた。
>その時命が放たれた双矢の一矢が温羅の左目に命中し、一矢は温羅の投じた岩と喰い合うて落ちたという。
>その岩は現在も境内にあって、その側に下向きに枝を生じた大竹がある。
>これがその矢であるといわれる。
>この事由により矢喰宮と呼称せられた。
二つ目。
「艮御崎神社(旧村社)岡山市辛川160」109(PDFでは60)ページめ
>主祭神 温羅和魂 外一柱
>宮 司 黒住虎雄
>由緒沿革 本神社は艮御崎宮と称して、小丸山古墳の丘陵にある。
>丘陵のまたの名を中山塚という。
>「吉備津彦命為西道将軍吉備の国時有吉備冠者俟命之軍雖唯患各泯而己、
>冀免我罪為君之臣応退逆従、君之臣応退逆徒、
>君現神我又為使者之神加賞罸於国民云云艮御崎宮是也。」
こんな由緒の書き方、ここだけでした。なぜでしょうか。
元の由緒沿革は「本神社は艮御崎宮と称して、小丸山古墳の丘陵にある。丘陵のまたの名を中山塚という。」まででしょう。
また、すでに触れましたが、全国にある「御崎神社」は出雲大社の「祖神さま」が祀られている島根県出雲市の「日御碕神社」由来の神社なんですよ。外国人アピールしている鬼が祀られるわけがありません。
ちなみに温羅の妻「阿曽女」に関する記述はどこにもありません。
総社市の主張では、吉備津彦命の時代から信仰()されてきたのだそうですが。
189. 名も無き哲学者
2014年02月02日 01:14
ID:5DsF4mhp0
こちらのほうが「丑寅・艮」の名にふさわしい神社。穢れをはらうにふさわしい、武闘派の神様が祀られてます。現在はどうなっているかわかりませんが、少なくとも34年前まではこんなかんじです。
「艮(うしとら)神社(旧無格社) 浅口郡鴨方町大字小坂西462」
>主祭神 吉備津彦命
>由緒沿革 創建は養老二年(西暦718)三月二十日。
>むかし吉備津彦命が備中一円を平定のみぎり、この引野の地に留まり、周辺一帯の賊を平定せられた。
>平定後従者三十三名を鎮護のためこの地に留められた。
>後、命は薨(こう)去し給い、吉備真金中山の里に葬り、吉備津神社として奉祀したが、
>従者三十三名は交代して神主となり、その後も代々引続き祭事を執行して来た。
>引野の地からは、吉備津神社本宮が、丑寅の方位に当っているので、
>この引野の社を艮神社と命名したという。
「艮神社(旧無格社) 浅口郡里庄町大字里見7276」
>主祭神 吉備津彦命
>由緒沿革 創建は天文十四年(1545年)である。
>戦国時代に當町の南境、大島村柴木の西端に聳(そび)える茶臼山に、
>大内義隆の幕下の大内摂津守が築城した時に、天災頻(しき)りに起り、
>又悪疫が流行して、人民が非常に苦しんだので、
>備中一の宮の吉備津神社の御分霊を勧請して、社を建てて祈願し、
>その御霊験によって悪疫が終息したので、城の艮の方位に新に社殿を建立して祀った。
>その後悪疫が流行する時、旱害に苦しむ時は、部落民が集って祈願した。
> …省略… 八幡宮の末社となった。…省略
190. 名も無き哲学者
2014年02月02日 01:21
ID:5DsF4mhp0
「寅崎神社(旧村社)倉敷市連島町鶴新田664」
>主祭神 品陀和気命 帯中日子命 帯中津比売命
>由緒沿革 創建は文化元年(1804年)十月二十三日である。
>鶴新田開発の際、祖神として本町矢柄八幡神社の御分霊を奉祀した。
>八幡神社は寅の方角に当るので、寅崎八幡宮と称したが、
>明治七年神社取調の際から寅崎神社と改称し、同三十二年村社に列格した。
※主祭神はそれぞれ応神天皇、仲哀天皇(神功皇后の夫で、応神天皇の父)、神功皇后を示す。
※三韓征伐関係者。
以上を踏まえた上で、下記のその他、工作サイトの抜粋をご覧ください。
>吉備津神社には、北東(うしとら)の方角には、この成敗された鬼が祀られています。
>備前一宮の吉備津彦神社の北東(丑寅=うしとら)の中山中学校の北側にある小円山という丘の上に
>艮御崎神社があり、温羅の胴を祀っているらしい・・・
>旧吉備国領土内には「御崎神社(または艮御崎宮・艮神社・御前神社・御前大明神)」という
>神社が数多くあり、地域の鎮守となっており、
>「御崎神社、通称:艮御崎(うしとらみさき)宮」という但し書きを掲げている神社も見られるように、
>吉備津神社縁起の最後の一節によると
>「艮(丑寅)みさき」は間違いなく温羅の精霊の「御崎神社=艮御崎神社」と考えられており、
>吉備国に多数ある「御崎神社」に祭られているのは「温羅の霊」ということになる。
>吉備津神社の北東に、艮御崎神社という神社があり、
>そこでは、温羅(うら)と温羅の弟・王丹(おに)が祀られているそうです。
191. 名も無き哲学者
2014年02月02日 01:31
ID:5DsF4mhp0
>吉備津神社本殿の外陣御前宮の艮(うしとら)には、温羅と温羅の弟・王丹が祀られている。
>吉備津彦を祭ったのが吉備津神社(岡山市)で、
>そうしとらうしとらみさきの神社の艮(東北)に温羅を艮御崎として祭っている。
>吉備津彦と温羅に関する伝説は、岡山市西部と …
※「岡山検定」公式テキスト: 岡山文化観光検定試験公式テキストブック 吉備人出版編集部 編集
ちなみに、彼らお気に入りの御前・御崎神社は、島根県出雲市「日御碕神社(旧国幣小社)」由来の神社です。
念のため、「○御前・○御崎」のように、少々呼び方が変えられた神社もルーツは同じですよ。
>日御碕神社は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。
>式内社で旧社格は国幣小社である。
>通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。
Wikipedia(日御碕神社)より
よって、この解説は正しい。
>「御前」とは素盞鳴尊の変化である。葦原醜男尊をさすのである。
by「御前神社(旧村社)高梁市高倉町田井鍛冶4522」
実際、御前・御崎神社の主祭神の名は古事記に出てくる古い神様ばかりです。
ぜんぜんわからんわー、って方でもイザナギ・イザナミ・アマテラス・スサノオ・オオクニヌシ・サルタヒコ・ヤマトタケルあたりは耳にしたことがありませんか?
吉備津彦命・吉備武彦命の名前も散見されますが、皇族由来の土地神ということで問題なし。
御前・御崎神社の主祭神として唐突に鬼の温羅の名があがることが異常なことだ、ということがわかると思います。
ってか、祀られちゃだめです。他人の家庭に勝手に入り込んで寝起きしたり、食事を要求したりしてるのと同じですから。
これ、「背乗り」ですよね。
192. 名も無き哲学者
2014年02月02日 02:03
ID:5DsF4mhp0
吉備津神社・吉備津彦神社は中の人がどの程度汚鮮されているのかわかりませんが、
・ホームページ上で縁起変更を容認していること
・神社の鬼門に「温羅」祀っていること
・『神社本庁憲章』に抵触する程度には祭祀をゆがめてしまったこと
には違いありません。ほんとに残念です。
長々と書き込んですみませんでした。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
くどいようですが、地元の神社やお寺の起源を調べ直すことをお勧めします。
なんでもなかったら、そのまま大切にしてください。
おかしなところを見つけた場合は、
お前らのたくらみはお見通しだアピールをした上で、正規の祭神を大切にしてあげてください。
タブー視して何もしないよりは効果があるかもしれません。
ここ三ヶ月で、こんなことがありました。
『温羅伝説』推進の中心となっていた総社市役所で逮捕者。建設関連の不祥事で。
長嶋愛生園では、15年にわたるセクハラを訴えられた医師が処分。
ハンセン病の不当裁判に関わったベテラン政治屋が、選挙違反で逮捕。
ま、ガス抜きの可能性もありますが、おまわりさんたちありがとう。応援してます。
___________
567 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 01:52:08.71 ID:UF3HeePS0 [PC]
>>499
岡山で桃太郎と来ると、陛下の姉にあたるひとがいなかったかな
572+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 03:04:15.17 ID:fCji73iK0 (1/2) [PC]
>>499
乗っ取られてるね。
在日韓国・朝鮮人にご利益あり! – 吉備津神社の口コミ 【トリップアドバイザー】
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298134-d1384496-r186708145-Kibitsu_Shrine-Okayama_Okayama_Prefecture_Chugoku.html
>在日韓国・朝鮮人(百済の子孫?)には特にご利益があるみたいです。
私は友達と2人で行って良縁祈願しました。私(日本人)には全くご利益がありませんでしたが、友達(在日韓国人)は祈願から3ヵ月後に今の彼氏と出会いました。
588+2 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 10:05:47.44 ID:9E1FSfrBO (1/3) [携帯]
>>499
むー、吉備津の鬼が朝鮮出身説は既に江戸初期には吉備津神社の縁起(元神宮寺の本願寺にあったが今は金山寺蔵)あったしな。
ただ、間違いなく「温羅」という名称は江戸中期以降に確定したから歴史は思いっクソ浅い。
王丹は戦国末期の吉備津宮遷宮記録に出てるから、鬼の当て字とは想像出来る。
写本は江戸初期だが、その用語や文章の特徴から室町初期成立でないかとされる吉備津彦神社に由来する鬼ケ嶽縁起には吉備津の鬼は単なる悪い鬼で
鬼ケ嶽(現鬼の城山)に盤拠していたのを吉備津彦神が退治したという単純な話。
それと吉備津の御崎が、というより全国の御崎が全て日御崎神社由来つーのは暴論な決め付けだな。
吉備津の御崎に関しては明治以前は吉備津彦命や吉備武彦命でなく、丑寅御崎といった御崎神の名で祭られていて
明治の各県への神社明細提出の際に、御崎(瀬戸内海地方で御崎は怨霊・祟り神扱いされる場合有り)や鬼神では宜しくないと御崎神の主にあたる吉備津彦命や子の吉備武彦命に変更されてるんだ。
また素盞鳴尊説は中世以来吉備地方には荒神・地神信仰が広く根付いていて、この神々も荒ぶる祟り神の側面と守護神の側面があり
御崎神信仰と神の性格と祭祀地域で被っていた。
これが江戸中末期には荒神が素盞鳴尊とされだし、明治の神社明細提出の折に吉備地方の荒神は多くが素盞鳴尊と提出された。
そのために御崎神の荒神と混淆されている地域では御崎神が吉備津彦命などにならず、素盞鳴尊になった場合もある。
これは明治初期の極一時期の岡山地域の状況に起因するのであって「日御崎神社起源」の根拠としては甚だ薄弱。
ただしそれとは別に、ここ二十数年来吉備津神社の鬼を善人扱いするのと朝鮮ネタをやたら絡める傾向が強まっており危険な兆候は増している。
鬼を善人扱いするのには原住民史観と密接な関係があり、これが左翼史観であるのは言うまでもない。
639+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 18:19:08.11 ID:dlBnCePz0 (1/2) [PC]
>>588
金山寺2012年の年末に全焼しとるぞ
縁起記録の類も恐らく…
ひょっとすると既に売っぱらわれてたり、
盗まれてたかもしれんが
646+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 18:51:49.39 ID:9E1FSfrBO (2/3) [携帯]
>>639
大丈夫、縁起はちゃんと県が博物館で保存管理してるから。
だけどご本尊と国重文本堂・県重文の阿弥陀さんは焼失しちゃったけど。
680 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 23:28:35.85 ID:dlBnCePz0 (2/2) [PC]
>>646
良かった。博物館で保存されとったんだ
図書館の件があるから安心しきれんが焼失よりはマシだな
出火原因とか出てこねえし、友人から聞いた話もあったから余計にな
本堂に御本尊様も焼失したのは哀しいが
会陽はなんとか他地域の手を借りて続けれとるようだ
_________
413+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/16(金) 18:30:38.53 ID:vc2AgWky0 [PC]
>>404
貴重な資料だ保存した。検証してくれた方には頭が下がる
ここ数年吉備津神社に惹かれないのも、うぜえ「うらじゃまつり」の生まれた理由も
歴史発表に反し岡山市と総社市が鬼の城は半島から伝わったニダなどほざいとんのが
よーわかった
慰安婦話の捏造と同じ、いやもっと罰当たりな歴史文化宗教の「背乗り」「修正」してたんだ
全国規模でやってるだろう、悍しいわ
調べた上で、お前の企みは○っとお見通しだって広めるしかねえな
417 :発毛たけし ◆ayiO.z1dnU @転載禁止 [] :2014/05/16(金) 19:48:30.89 ID:BTrA3BSU0 (1/2) [PC]
>>413
岡山なんて遠いから知らなかったが
乗っ取り始まってるやん
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298134-d1384496-r186708145-Kibitsu_Shrine-Okayama_Okayama_Prefecture_Chugoku.html
まあ神社界に在日朝鮮の人が増えてるのは数年前から話題になってたね
437 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/17(土) 02:49:23.03 ID:dlBnCePz0 (2/2) [PC]
だから8月上旬の岡山市内は出歩きたくねえんだわ
誘われても絶対行かん
>>434
>>404の資料の通り元は「よさこい」のパクリから始まったそうだ
まあ楽しんで踊ってる人もおるんで、正のエネルギーを鬼ageに使う
呪術的には架空でも信仰ありゃ力になるっての? 温羅の神格化
また嘘の歴史で桃太郎(吉備津彦)sage 行き着く果ては祭祀の擦り替えかね?
あと桃太郎と言えば劇団死期の「桃次郎の冒険」を
小中高の文化鑑賞会で見せるプロジェクトを劇団と協力し
今後も続けて行くとかやってんだぜ岡山市教育委員会
鬼にだって言い分はある。子供達は相手の気持も考えて欲しいだってさw
俺の時は自習時にビデオ流してたが時間中に全部見切れなかったな
感想書かなくていいのもマシだったろうが……やっぱり酷い
489+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/18(日) 01:43:36.77 ID:UFl2D2DR0 (1/9) [PC]
話を戻してしまって申し訳ないが、
>>404 すごいね。史料にまで手をつけるとは恐ろしい。
藤原不比等も真っ青なんだぜ?
吉備津神社が胡散臭くなって嫌いになった人用の、捏造しようの無い豆知識。
吉備津神社と吉備津彦神社を線で結ぶと冬至の日の入り(又は夏至の日の出)ラインが出現するよ!
そういえば鬼の捏造関連で思い出すのは亀岡の桜石鬼伝説。
境内で取れる桜石(天然記念物)を投げつけて鬼を退治する話だけど、
こちらは湯の花温泉観光旅館協同組合が客寄せを目的として民話を創作した話。
観光客を中心に順調に信じられている模様w
502+1 :本当にあった怖い名無し@転載禁止 [sage] :2014/05/18(日) 06:06:58.39 ID:q3Bmtszv0 [PC]
>>489
ありがとう大丈夫。一番駄目な事は吉備津彦命を信じなくなることだから
鬼を討取った命の存在(イメージ)を信じ、
感謝と畏敬の念を申し上げるのが大事なんだと理解しとる
本来ならお社に詣でるのがいいが、困難だったりする時は
心内で奏上すればいいので、そうさせていただく
>>490
ソースと検証は2ちゃんの御約束だな
昭和初期に桃太郎伝説を推し進めたのは戦意高揚の為じゃなかったか?
アニメ映画「桃太郎の海鷲」「桃太郎 海の神兵」も制作されたし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E6%B5%B7%E9%B7%B2
物を語(騙)るのも戦いなんだな…
________
関連:[神社本庁をめぐる売国疑惑いろいろ] 神社本庁が「日本神話韓国起源説」を指示・戸隠修験・丹生都比売神社