中国共産党がアメリカ「太平洋戦争国家博物館」に歴史改変を要求→拒否られて電話攻撃 + 中国共産党と韓国は日本と戦ってはいない + 抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら「日本軍は強かった」

45 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止 [] :2016/03/01(火) 20:54:46.15 ID:udA1o88e (2/7)
■中国共産党(八路軍)が歴史改変を要求

電話でアメリカの博物館に迷惑をかける

歴史の改ざんというのは中国人の最もよく使う手だ。日本の「産経新聞」が三十日に報道したところによると、アメリカのテキサス州にある「太平洋戦争国家博物館」に今年四月になって中国の外交官を名乗る複数の人物から電話を受け取った。

電話は館内に展示されている「中国共産党の前進である八路軍は日本軍との交戦を避け、遊撃しつつ山間部に逃れた」といった描写を変更しろというものだった。

博物館側がこれを拒否したところ、数日間に渡りいたずら電話が殺到、警察に協力を求める事態となった。


報道によると、元々この事件は同博物館の対外連絡交渉を担当している日本籍の男性、岸田芳郎が故郷である福岡の自民党議員原田義昭に打ち明けたことから明らかになったものだとされている。

岸田によると、自称中国外交官を名乗る人物が再三に渡り博物館側へ上記の記述を、

「中国共産党は日本軍に宣戦布告を行った全ての戦闘で勝利した。

日本国天皇は領土拡大の野心をもって中国大陸に侵入し、魚釣島を含む中国領土を占領した」という内容に変更するよう求めて来たという。


博物館側はこれに対し「中国の主張には根拠がない」として要求を拒絶、結果として無言電話が殺到することとなり、警察へ助けを求める事態となったのだということだった。



47 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止 [] :2016/03/01(火) 20:56:10.57 ID:udA1o88e (3/7)
【歴史捏造】中国共産党と韓国の歴史認識捏造の苦しい理由(笑) 

■中国共産党と韓国は日本と戦ってはいない

しかも、自ら独立を勝ち取ったのではなく、日本を打ち負かした米国の進駐で、棚ぼた式に日本統治の終わりを迎えた。

従って、歴史を正視すると永久に自信は取り戻すことができない。自信を取り戻すには、歴史の捏造・粉飾が手っ取り早い。

自信がない国は外国に歴史改竄のお先棒を担いでもらう。

中国・重慶の光復軍総司令部の復元や、駐屯した西安に記念碑を作る計画を、韓中両国が協議している。中国を後ろ盾に、“歴史”に箔を付ける企てのようだ。

韓国臨時政府や光復軍は国民党政権の支援で樹立された。

この史実を黙殺して、国民党と血みどろの戦いを繰り広げた共産党に泣きつくのか。
このあたりが、中華という虎の威を借りる小中華韓=韓国の哀史を一層哀しい物語に仕立てている。

共産党軍も帝國陸海軍と国民党軍が戦っている間、長い距離を経て征伐に行く意味の「長征」と強がって、山奥に逃げ込んでいた。

■日本と満足に戦わなかった韓国と共産中国は、どこか惹かれ合うに違いない

光復軍とは、
反日で共闘する現在の、「韓中合作」を彷彿させるが、動員計画は遅れに遅れ創軍1年目の兵力は300人に過ぎない。

結局は終戦直後、朝鮮半島に君臨した米軍の軍政政府により武装解除された。

米国進駐で祖国が自動的に解放された哀史は、光復軍に本格的実戦経験のない“戦歴”を与えた。

光復軍がそれほど大活躍をしたのなら、光復軍で手柄を立てた人物が独立後、韓国軍の要職を独占しても良いが、現実は異なる。

韓国陸軍~創成期の陸軍参謀総長(第1~10代)は、全て帝國陸軍士官学校か、その教育方法を受け継ぐ滿洲國陸軍軍官学校出身者。

 ところで、光復軍総司令部跡に展示室を設ける計画もあるそうだが、展示品にはさぞお困りだろう

際限なく武勲の粉飾を続ければ、帝國陸軍の友軍INAの存在や“戦歴”の眩しさの差を、若い世代に知らせる誘因になる。

 もっともこの隠蔽部分こそ、真贋の境が消えた韓国史の、数少ない真実である




49 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止 [] :2016/03/01(火) 20:57:11.64 ID:udA1o88e (4/7)
【日中】抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら…「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア

抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら・・・「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア

四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、戦意については「敬服せざるをえなかった」と述べた。

 四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、突撃などの際に見せる犠牲的精神については「敬服せざるをえなかった」と述べた。


 99歳の馬定新さんは「抗日ドラマ」について「数人で鬼子(日本兵を指す)の連隊を全滅させるだって? 真実ならば、多くの仲間を犠牲にして8年も戦う必要があったわけがない」と批判。
「ひとつ間違えば命を失う」厳しい戦いだったと回顧した。

 日本軍は多くの場合、航空機や戦車、重火器で攻撃を加え、敵をただちに撃破する電撃作戦を好んだ。しかし、戦線が膠着すると迂回攻撃するなど柔軟性もあった。訓練が行き届き、部隊間の
連携も巧妙な日本軍に、中国軍は大被害を受けつづけた。

 記事によると元兵士の多くが、日本の将兵は「命を惜しまず、射撃も正確だった」と証言する。「突撃」の命令が下れば、とにかく殺到してきたという。小隊長として1941年5月の中原会戦に
参加した鄭維邦さんは、日本軍の突撃精神には「敬服せざるをえない」と述べた。

 戦史研究家の何允中さんは、日本兵には「崇高な武士道精神があった」、「まず、おのれに厳しかった。相手に対してはさらに厳しく戦った」と説明した。

 中国では「武士道精神」が、「日本人の残虐さを示すもの」として否定的に扱われることがほとんどだ。専門家の発言部分とはいえ、メディアが「崇高」と表現するのは珍しい。

 記事は続けて「抗日ドラマの見せ場」でもある、中国人が刀で日本兵を『華麗に殺す』場面を取り上げた。馬さんは「大うそ。鬼子と遭遇して、あんなことをしたら、何度殺されていたか分からない!」と
述べた。

 実際には、中国軍の軍刀や銃剣類の使い方は日本軍から学んだもので、日本人将兵の刀剣類の使い方の方が「最高に実際的だった」という。また、中国には当初、歩兵の運用規則を定めた
「歩兵操典」が存在せず、後になり日本軍の「歩兵操典」を翻訳・編集して使ったという。

 記事は最後の部分で、「いかなる目的にせよ、歴史をねじ曲げ、誤った歴史を広める行為は、全民族を挙げた抗日戦に対する侮辱」と批判。「歴史を直視し、(当時の中国と日本の)差を
直視することが、抗日戦を戦った英雄に対する最大の尊敬だ」と主張した。