162 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:13:37.46 ID:IJStmUol0 (1/10) [PC]
支那事変は、日本が大陸に進んで侵略戦争を仕掛けたものでなく、中共軍
が蒋介石軍と日本軍を戦わすために、次々に各地で日本人殺傷のゲリラ
事件を起こし、その鎮圧のために、日本軍が大陸に進駐せざるを得なく
なったからです。
もともとは中国大陸の内戦でした。ソ連をバックにした毛沢東率いる中共軍
とアメリカの支援を受けている蒋介石の国民党軍の権力闘争でした。
常に劣勢であった毛沢東軍は蒋介石軍と日本軍を戦わして弱体化させ遂に
蒋介石軍を台湾に追いやり勝利しました。
ということは9月3日の「抗日戦争勝利記念行事」は筋が通りません。毛沢
東が作った現代中国は日本とはほとんど戦っていません「抗蒋介石戦争
勝利記念行事」なら筋は通ります。その上日本軍も蒋介石軍には一度も
敗退したことはありません。
アメリカは蔣介石を支援して日本と対決させ、そして日露戦争の復讐に燃え
るソ連は中共軍のバックにつき日本を中国内戦に引きずり込みました。
これが支那事変の歴史的背景です。
我々日本人は隣に住んでいる中国人がいかに残忍で、また大嘘つきで
自分たちの罪を平気で他人に擦りつける民族であること、そして日本人の
理解をはるかに超えた野獣人であることを肝に銘じなければなりません。
南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人
しかいない所で、どうやって30万人を殺せるのですか?しかも日本軍の
南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月
後に人口は25万人に増えています。もし虐殺があったのなら、人々は
日本占領下の南京に戻ってきたりするはずもありません。
当時の中国市民は自国民である中国兵を恐れ嫌っていました。日本兵の
いるところが一番安全であると信頼していたのです。敗戦後日本軍が惜しま
れながら去った、日本軍の後にどんな軍閥、野党軍団が来るかも知れず、
日本軍が去るのを不安な気持ちで見送った中国市民の気持ちがわかります。
このように日本人の伝統は中国には100%もない遵法精神と規律があり、
武士道が日本軍隊の精神的支えとなっていました。
ところが絶対許せないことに戦後の教育で、日本軍が中国で、暴虐、非道
の限りを尽くしたという虚偽を左翼先生たちは子供たちに教えてきたので
す。この先生たちは本当に日本人だろうか?
まだ中国や韓国のように自国を良く見せるために、数々の悪事を隠し、歴史
を捏造するのは少しは理解できますが、日本のように良いことを隠し、全く
してもいない悪事の罪を着せるなど私には信じられないことです。
166 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:14:18.14 ID:IJStmUol0 (2/10) [PC]
中国国内の対日抗戦を戦ったのは中共軍ではなく国民党軍だった
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
(画像:建国の父 中国は今も毛沢東を敬っているように見えるが)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/reuters/endo20150826.jpg
中国はいま抗日戦勝記念行事で燃え上がっている。しかし中国建国の父、毛沢東は、抗日戦争勝利記念行事を一度も
行ったことがない。建国以来の推移を見れば、習近平政権の異様さが際立ってくるだろう。
・1950年代における抗日戦勝日の行動
中国(中華人民共和国)が1949年10月1日に誕生すると、その年の12月23日に中央人民政府政務院(現在の国務院に相当)が
抗日戦争勝利記念日を8月15日にしようと決定した。しかし実際には実行されておらず、1951年に8月13日に、記念日を「9月3日」
にすると、文書上で決めた。
毛沢東はそれにも従わず、9月2日にソ連のスターリンに祝電を送ることだけしかやっていない。
中共中央文献研究室が編集し、中央文献出版社から出版した『毛沢東年譜』に基づいて、9月2日前後に、毛沢東がどのような
行動を取ったか、また抗日戦勝日記念行事を行ったか否かを、以下に記す。
●1950年:抗日戦勝に関しては、いかなる行事も行っていない。
●1951年:9月2日に、毛沢東がソ連のスターリンに向けて祝電を送った。内容は「抗日戦争勝利6周年に際し、中国人民解放軍と
中国人民を代表して、あなた(スターリン)とソ連武装部隊およびソ連人民に熱烈な祝賀と感謝を表する」。
これ以外のことは、何もしていない。国内行事はゼロ!
●1952年:9月2日に、毛沢東がソ連のスターリンに向けて祝電を送った。内容は「抗日戦争勝利7周年に際し、私と中国人民解放軍
および中国人民の、あなたとソ連武装部隊およびソ連人民に熱烈な祝賀と衷心からの感謝を送ります」。国内行事はゼロ!
●1953年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ(第二代閣僚会議議長)とモロトフ(外相)宛てに祝電を送った。スターリンが
この年の3月に他界したから、祝電の送り主は毛沢東ではなく周恩来に格下げした。
電文の内容は51年および52年と同じだが、そのほかに朝鮮戦争休戦協定を祝する内容と、「朝鮮戦争における成果は、正常な
関係樹立を望む日本人民の要求実現を助け、日本が再び帝国主義侵略の道を歩まないようにすることに寄与する」という文面を含んでいる。
日本の一部の者が中国との交流を望んだことを指している。ちなみに同日、毛沢東は習近平の父親・習仲勲らと別件で談話している。
国内行事はゼロ!
●1954年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ、モロトフ宛てに祝電。特徴はアメリカ帝国侵略集団が日本に軍国主義を
復活させようとしていることを痛烈に非難。日米安保条約に関して抗議し、協力団結を呼び掛けている。台湾解放にも触れている。
国内行事はゼロ!
●1955年~59年:抗日戦勝に関しては一切触れていない。もちろん国内行事はゼロ!
このように1950年代、中ソ対立が生まれる1955年までは、ただ単にソ連に祝電(謝意)を送っているだけである。つまり、「抗日戦争は
ソ連のお蔭で勝利した」という位置づけをしていることが分かる。
169 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:14:53.59 ID:IJStmUol0 (3/10) [PC]
中国はいま抗日戦勝記念行事で燃え上がっている。しかし中国建国の父、毛沢東は、抗日戦争勝利記念行事を一度も行ったことがない。建国以来の推移を見れば、習近平政権の異様さが際立ってくるだろう。
1950年代における抗日戦勝日の行動
中国(中華人民共和国)が1949年10月1日に誕生すると、
その年の12月23日に中央人民政府政務院(現在の国務院に相当)が
抗日戦争勝利記念日を8月15日にしようと決定した。
しかし実際には実行されておらず、
1951年に8月13日に、記念日を「9月3日」にすると、文書上で決めた。
毛沢東はそれにも従わず、9月2日にソ連のスターリンに祝電を送ることだけしかやっていない。
中共中央文献研究室が編集し、中央文献出版社から出版した『毛沢東年譜』に基づいて、
9月2日前後に、毛沢東がどのような行動を取ったか、
また抗日戦勝日記念行事を行ったか否かを、以下に記す。
以下、全文はソースで
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/08/post-3859.php
236 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:25:20.73 ID:IJStmUol0 (10/10) [PC]
支那事変(日中戦争)は1937年7月の盧溝橋事件に始まり、広安門事件、
通州事件・上海 事変・南京陥落(1937年12月)と続きますが、絶対に忘
れてはならない事件として1938年「黄河決壊事件」があります。
黄河決壊事件とは、蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日
夜、黄河の堤防を破壊、そのために4千の村が水没し、水死者100万人、
その他の被害600万人という大惨事になりました。
堤防決壊直後、日本軍は堤防の修復作業を行っただけでなく、被災した民衆
の救助と防疫作業を行いました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱わ
れていた中国民衆を必死になって救済したのです。
中国国民党の通信社であった中央社は、「日本の空爆で黄河決壊」という
偽情報を6月11日午前に発信し、6月13日には中国全土の各メディアが
「日本軍の暴挙」として喧伝しましたがこの自作自演は外国記者に見破ら
れています。その惨状を見た各国の記者は「道端には凍死者と餓死者が
溢れ、飢えた人々は死体の肉をたべていた」と報じています。
日本軍は中国住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組みました。それ
まで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に
歓迎しました。統率が取れ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というも
のを、中国人は初めて見たのです。
中国の軍隊というものは、古来から略奪と虐殺を行なう野党集団です。共産
党軍も国民党軍も基本的にはルンペンの寄せ集めたような集団にすぎな
かった。彼らが軍隊に入ったのは、占領地域で略奪、強姦が好き放題できる
からです。
中国4千年の歴史は「人殺し文化」です。唐の黄巣の乱、明の李自成や
張献忠の物語でも読めば、中国人の人殺しの文化様式を理解できます。
中国式は残忍で、頭に穴を開け、目をえぐり、鼻や耳をそぎ、皮をはぐなど
のことが平気で出来る人達です。
南京大虐殺の記念館には、日本兵が人間の肝を食っている模型や銃剣で
嬰児を串刺しにした日本軍の描写は、いずれも中国の戦争話によく出てくる
もので、晋書の「呂隆」「呂光伝」や明史の「「張献忠伝」あたりをコピーしたも
のです。
日本軍の虐殺の記述は、事実に基づいたものでなく、中国歴代の王朝が
交代するときに行われた虐殺の歴史から、引き写したものばかりです。
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173 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:15:30.57 ID:IJStmUol0 (4/10) [PC]
田辺誠よ、国民に対して謝罪を!:イザ!
この田辺書記長は、1985年の中曽根首相の靖国神社公式参拝に際しても、わざわざ北京まで行って
胡耀邦総書記に『 なんでもっと怒らないのか! 』と抗議した。
それでも民主改革派で経済重視派だった胡耀邦総書記は、中曽根首相の靖国参拝に対して抑制的だった。
すると田辺書記長は旧満州に行き、そこで更に煽った。
その結果、『 靖国参拝反対 』が中国全土に広がり、胡耀邦は政治生命が危うくなった。
『 胡耀邦が危ないぞ 』というので、中曽根首相は翌年から靖国参拝をやめた。(中略)
それ以来、今日に至るまで、中共政府は『 我が国首相の靖国参拝を非難する 』ようになった。
首相の靖国参拝を何度も記事にして国内で問題化したのは朝日新聞だが
それをわざわざ中国に行って煽ったのが社会党の田辺書記長だった
田邉誠と言えば、こういう話もありますね。
「南京虐殺記念館は、1982年に元日本社会党・田邊誠委員長が、総評から3000万円の金を持って
きて、造れ造れと勧めるので造った。そのとき870万円しかかからなかったので、残りは皆で分けた。設計も日本人」
それまで彼らは南京虐殺なんか興味も関心もなかったらしい。
田邉が生きてるうちに証人喚問できないんでしょうかね。
∧_∧ 。
( ´∀`) / < 誰が火を着けたかわかりますね みなさん
(つ つ
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昭和39年、社会党の佐々木更三委員長が毛沢東主席に
「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶すると、
毛沢東主席は言った。
「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は
中国に大きな利権をもたらしました。
中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか、皆さん、
皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」
昭和52年10月7日にトウ小平主席は言った。
「毛主席は、常々過去のことは水に流そうと言われた。
しかも実際は、日本が中国を助けたことになっている。
日本が蒋介石を重慶まで押し下げて呉れたので、
我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。
そして八年間に三万から百二十万に迄増えたし、
さらに数百万の民兵まで作った。
我々は、百二十万を以て三年間で蒋介石軍を打ち破った。
それゆえ皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。」
反日は、中国共産党幹部のバカ息子の会の太子党(習近平等
)が自分達の腐敗や貧富の格差をごまかす為にやっている!!
178 :名無しさん@1周年 [] :2015/12/12(土) 07:16:11.77 ID:IJStmUol0 (5/10) [PC]
中国の右翼を煽ったのはこの人です
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
彡|. _,,,,,,__ __,,,,,,_ |ミ
彡トi.‐=・= H,=・=‐i-}!ミ.
l.|.ハ`ー‐´ハ`ー‐´ .! ミ ・・・・
.ゝf : /L__ 」ヽ、_ l‐’
__,. -‘.ヘ, ィー===-‘〉, /─- __
_ -‐ ”” / .\ /!\  ゙̄ー- 、
ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
| | _> レ’-、 r_________ !
.∧ ! ヽ | 厂 |加 藤 千 洋.. ../|ヽ
\ | \ ∨ …|朝日新聞編集委員/_.|ハ
靖國神社問題
①『朝日』加藤千洋記者
↓「中国『日本的愛国心を問題視』」ほか
↓(昭和60年8月7日)
②社会党 田辺誠書記長ら訪中
↓(同8月26日)
③中国姚依林副首相がはじめて政府要人として中曽根康博首相の靖國神社参拝を」批判
(8月27日)
これ以前、歴代首相が58回も参拝している(いわゆる「A級戦犯」合祀後も20回)
┃ 靖国問題
┃福田赳夫首相 1977年 参拝 どこの国からも抗議なし
┃大平正芳首相 1979年 参拝 どこの国からも抗議なし
┃中曽根康弘首相 1983年 参拝 どこの国からも抗議なし
┃ 1985年4月22日 参拝 ここまで外国からの批判は一切無い
┃ 1985年8月7日 朝日新聞が参拝を批判
┃1985年8月15日 中国の新華社通信が参拝を批判
┃橋本竜太郎首相 1996年 参拝 中国抗議!!!!!
┃小泉純一郎 2001年 中国・韓国抗議!!!!!
┃ 2002年 中国・韓国抗議!!!!!
∧_∧ 。
( ´∀`) / < 誰が火を着けたかわかりますね みなさん
(つ つ
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